生まれ故郷
私が生まれたのは文京区本郷菊坂です。坂の下に住んでいたので、そこが下町だと思ってました。坂の上には東京大学がありました。(俺も大きく成ったらあの学校に行くのかな😊)物を知らないと言うのは怖いもので…真面目にそう思ってました。
近所にあった文京東映、東映系の映画館なんですが、東宝の駅前シリーズや松竹の男はつらいよなんかも上映してました。ある日私とM、Sの悪ガキ3人組で映画館の裏の塀を乗り越えちゃって、裏口から侵入して映画を観てました。その時Mが「寅さんって言う面白い映画があるんだよ」と言ってました。その時は確か三本立てで、寅さん以外にもなんかやってたんですよね。(次は寅さんだな)と思い、(映画終了後)館内の照明が明るく成った時でした、映写係をしていた館主がつかつかっと寄って来て「親はどこだ?」「えっ?今トイレに行ってます」映写室からずーっとこちらを見てたんですね… 「お前らこっち来い!」襟首を掴まれて、本当につまみ出されてしまいました。
近所には他に後楽園と文京公会堂(現 シビックホール)がありました。後楽園ではよくサーカスをやっていましたが、これもテントの下から中へ侵入してました。これはバレませんでした😅
文京公会堂ではコンサートや演劇、ドリフの全員集合とコント55号の55号決定版の公開放送が行なわれていました。両方とも生で観てますが、全員集合がある日(土曜日)なんかはもう夜まで我慢出来ず、また悪ガキ3人組で昼間っから公会堂へ偵察に行ってました。
自転車に乗って行ってましたが、公会堂の裏に大きな扉がある搬入口がありました。扉が開いていたのでなんとなく、自転車に乗ったまんま中へ入って行っちゃいました。するとその搬入口は舞台に繋がってたんですね… 大道具さんたちが一生懸命セットを組み立てていた舞台上に、なんか自転車に乗ったガキが走って来ちゃった😓(不味い!)と思った瞬間「お前ら何やってんだ!」怒鳴られました🤯
(当たり前だよ)
なんかドリフのコントみたいでした😅
たまに知らないおじさんに「お前ら いつまで遊んでんだ!」なんて怒られちゃったりして😅けど今考えると銭湯に来てるぐらいだから、そんなに遠くに住んでる人じゃなかったと言うより、寧ろ近所に住んでるおじさんだったんじゃないかな?
中には背中に彫り物を背負ってるおじさんもいました。そう言う人の方が、全然怖くありませんでしたけどね。
Kちゃんのお母さんは優しい人でした。私が4年生ぐらいの頃だったかお母さんは癌に成ってしまいました。Kちゃんの家に遊びに行くとお母さんが布団に入って横に成っていました。顔を見ると私の知ってるおばさんでは無く、痩せこけてしまっていました。おばさんは私にまるで遺言のように「これからもKと仲良くしてあげてね」と言いました。その時Kちゃんのお姉さんは隣りの部屋で、海援隊の母に捧げるバラードを聴いていました。私はその時初めて聴いた歌でした。
生まれ故郷の本郷には小学生5年の2学期まで、埼玉へ引っ越すまで住んでました。年数にすると僅か10年程ですが、とても思い出深い私のルーツです。
引っ越しの当日は朝から雨が降っていました。トラックは日光街道を真っ直ぐ埼玉県へ向かって走って行きました。すると千住大橋を越えた辺りから青空が見えて来ました。なんだか凄く遠くへ来てしまったような気がして、心細く成りました。まだ子どもでしたからね…
安心安全第一
てんでんこ
おなじ空の下
良いゴールデンウィークを🍀