ド直球に「現高校数学教員」に喧嘩を売っているように聞こえてしまいますが・・・・(私も教員時代は数学を教えていて苦労した部分です)
最近の中学生や高校生を見ていると、どうにも気になることがあり・・・
方程式や関数、図形がすべてバラバラの分野として独立して、それぞれの問題に解き方があり、その解き方を覚えなければならない!と思っているように感じます
たとえば
このような式があったときに、頭に浮かぶのは「因数分解」「2次方程式」「2次関数」「頂点」「共有点」「解の公式」「平方完成」などが上がると思います(お子さんに見せてみてください・・・・、たぶん「因数分解」をすると思います)
この式は「y=」から始まるか、「=0」で終わっているか、など細かいことはありますが、
「2次方程式を解く」=「因数分解する」=「共有点を求める」、
「2時間数としてみる」=「平方完成する」=「頂点が求まる」
と、言い方は違えど、同じこと、です
同じことなのにも関わらず、
因数分解ができるのに、2次方程式が解けない
2次方程式が解けるのに、共有点が求められない
などの問題が出てきます
この原因は、
習ったこと、学んだことを「抽象化できていない」(「=」がない)ことです(これができないまま、中学から高校に入ると、数学の点が明らかに落ちます)
2次方程式を解くための、道具は因数分解、結果、作れるものが共有点、というような考え方です
2次方程式が解ける、因数分解ができる、共有点が出る、ことが重要なのではなく、「なぜ、この方法で求まるのか」です
実は、この「なぜ、この方法で求まるのか」は教科書に載っています
章の初めの方にある、例題の近くになる、数字がない、文字だけのながー--く、書いてあるやつです
(非常にわかりずらく、見にくくて、わけのわからん文字がならんでるやつです笑)
学校ではここら辺はあまり触れず、例題をやって、問題を解いてみる、という流れなので、生徒は「できたつもりで、次に進んでいきます」(ちゃんと点も取れるので、できていると思い込む)
そのまま抽象化されず、どんどん新しいことが積み重なり、覚えきれなくなる・・・・終
が、現実です
私は高校時代、この抽象化がされていないまま大学に入り、ものすごく苦労しました・・・
大学数学は「計算ができること」はどうでもよく、「その式の本質がわかること」=抽象的な概念の理解、です
ある一定学力があると、自分で気付けたり、学校の授業にそもそも組み込まれていたりするんではないかと思います
(それも、全体の20%もない気がしますが・・・・)
ほとんどの生徒は、気付かぬまま、数学が苦しい!!!となります
まとまらないお話でしたが、頑張っても数学ができない理由の一つでした
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