Let's talk } 自分を好きになる事 | maro's diary

maro's diary

私の今までの人生で経験した事やこれからの事を記録として残してシェアをしたいと思います








私が私を「好きだよー : )♡」って思える事
意識している事もそうでない事も
リアルな気持ちをシェアしていこうと思います



自分の愛し方や自己評価の基準は
人それぞれで皆んな素敵です



他人と比較せず、自分にあるものを見る事で
より、自分を好きになれると思います




例えば、誰かより優れていると感じる事も
他人を不本意だとしても卑下しているようで
1番になる、昇進する、みたいな事を
素直に受け入れられない自分がいます


皆んなが欲しいと思っているものを手に入れた嬉しさ
それも立派な自己愛としていいでしょう
でも、手に入れられなかった人の気持ちまで考えて
「やった〜!」と喜べない


謙虚とでも言うのかもしれないけれど
そういった自制心で喜びや幸せを制御している事実
私は手放さなければならないと思った




どこかで「意地悪」だと感じていたんだと思う

他人の気を軽視して自分の喜びを体現するのは
失礼だなって思ってた



でも、私の友人が何かで1番になったのなら
" 自分の事のように喜べる気持ちが私にはある "

誰かが私の欲しいものを持っていたとしても
" よかったね、と思える思いやりが私にはある "



それを自分に向けるだけなんだよね





他人との比較とまではいかなくても
誰かの事を考え過ぎて自分を粗末に思うのなら
それは気遣いでも優しさでもないなって思う


自分が幸せだと思い噛み締める事で
自分の心の余裕を感じます
それが他人への気遣いや優しさに繋がると思うのです





わがまま」もよくないものだと思っていた


行き過ぎた自己主張や道徳を無視した自分本意な言動
これはよくないかもね

でも私の思う「わがまま」の基準は低かったと思う



親に自分の本音を語る事もわがままだと思っていた
育ててくれたのに、恩知らずじゃないか
そういった変換を無意識にしていた


一方で、親は意思疎通の取れないもどかしさや
私が心を閉ざしたように感じて
悩んでいたのだと、後になって知った


親が求めていたのは
「何も言わないお利口さん」ではなく「素直な私」だった


私の勝手な「わがまま像」は不要な配慮だった



それからは、自分の気持ちを本音で語れる自分になり
親との関係も改善したと思う
そんな自分が好きだと思える




ここまでの経験談は「他人」が関わっています
人というのは自分を考えているようで
どこかで他人を考えているんだと思います


悩みの9割は対人関係にあると聞きました


自分を好きになる事と他人への優しさの繋がりは
私は大きく感じます
自分を大切にできる自分は他人に優しくなれる自分

そう思えます




自己完結した自分の好きだと思える経験


分かりやすくテンションが上がってしまったり
美味しいものを食べるとニヤニヤしてしまったり
顔見知りと勘違いをして他人にバッグハグをしたり

どこか、愛せなさそうな私が好きなんです

完璧じゃない自分って愛おしい





中途半端な自分も好きなんです


一途に何かを続けて努力できる人に憧れた時もありました
格好いいなって思う


でも自分は絶対にそういうタイプじゃないんです
何も続かない、意欲もすぐに消沈してしまう


だからこそ沢山の「趣味」を持っているんです


文章を書いたり、本を読んだり
絵を描いたり、絵画鑑賞したり

ピアノもクラシックバレエも算盤も体操クラブも水泳も
一通りやって基本は身に付いているから
それが、時たまに活かせる時がくるんです


趣味がたくさんあるから
飽き性なのに飽きないという不思議な現象


なんだかんだと、日々が充実しているなと思う訳です




短所だと思い込めば、それまでですが
生活を探求すると短所が活きていると感じます






自分を好きになる必要があるのか?
自己肯定感は高くなきゃいけないのか?
そんな訴えも多く目にします


好きとか自己肯定感という言葉のニュアンスが
なんとなく「野暮ったい」のではないかな?



好き、肯定感、という言葉を使わずに
私がなぜ「必要」と感じているのかの話



自分を客観的に見るには他人になり切る方が簡単
例えば、大切な人になりましょう




大切な人から見たあなたとこれまでの関係性は嘘ではない



例え、ヘマをしても悩んでも落ち込んでも
その失敗に目を向ける事より、私を気遣ってくれるでしょう

時に、厳しい事を言うのも私を思って言ってくれる
それを何も言葉交わさずとも理解できる関係性だから

私が話す事を嘘かと疑わずに聞いてくれるのは
私が嘘をつかないと信じているからです




これは私にとって大切な人が
それだけ私を同じように大切に思っているからだよ
って思うんだよね




誰かとの相性がピタッと当てはまった時は
その人が「具体的に評価」するのではなくって
「私」を見てくれて「私」を評価してくれる



そんな価値のある自分でいると思えたら
自信が湧いてくる



お金持ちじゃなくても社会的地位が低くても
頭が悪くても特技がなくても
私に価値を感じてくれる人がいるんだよ



それなのに足りないものばかりを見つけては
自分を卑下して悲しむ
それを大切な人が見たらどんな気持ちになるかな




また、こう考えてもいいと思う



私が既に持っているモノ(性格や能力や経験含め)
それを欲しいと思う人がいるはず

それなのにまだまだ足りないし満たされないと
不満を晒されたら、と考えよう
その人からすれば、私は贅沢であり幸せ者だ




これらが
自分の肯定感を" 忘れている " だけの話であって
自尊心や肯定感を持っていない事にはならない

必ず誰にでも自分を好きになれる面を知っていて
実際に価値がある事を当たり前としているだけと思う






好きになるには
自己肯定感の高め方


検索すれば出てくる「やり方や項目
それは単なる例にしか過ぎないのであって
その項目に当てはまる事が自己肯定感ではない





自分なりでいい





皆んなと足並みを揃える事を教わった
自分を主張する方法は教わらなかった



知らないだけで、自由な生き方はあっていい



今の当たり前を生み出した歴史上の人物
思想家、哲学者、科学者、創業者

大衆から散々な文句や罵倒を浴びたという

新しいモノに人は何故か抵抗をする
デメリットに目を向ける

実際はどうだろう?
誰かの発明や考え方やモノによって
今の生活は豊かになっている



皆んなと違う事をした先に私達の生活があって
最初の批判など長い時間で見れば一瞬の時の話



皆んなの自由を奪うのは他人じゃないよ、自分だよ



どんな多様性といわれる今の時代でも
何か意見をすれば反対意見に押し殺されそうになり
今だに解決しない議論のテーマが溢れている

でも私の目の前で繰り返される現実は
簡単に自分で楽しくもつまらなくとも変えられる



まずは自分という小さな世界を豊かに平和にする
それができたら私の言う "心の余裕" に繋がり
誰かを思いやる気持ちが豊かに変わっていくはず



理想を言えば、世界中の人が幸せだと思えたら
多分、戦争も起こらないし貧困の差も問題にならない


苦しい現実の上に幸せ者の現実が見えて
妬み、恨み、不自由に目が向いてしまうから
結局、他人に奪われていると感じる


他人との比較という事でもあります


まずは、自分だけの幸せや豊かさを愛でていこう
大した事じゃなくていいんだよ
自分にとって「こんなちっぽけな事」と思う事は
誰かにとっての羨ましいものなんだよ


私はこうやって自分を幸せに思える自分が大好き
それをシェアしていきたいです





最後まで読んで頂きありがとうございました👙