丸亀城 香川県丸亀市 日本100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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令和6年2月23日に香川県丸亀市の丸亀城を訪れました。高松城から高速で40〜50分かかりました。
連休だからなのか駐車場は満車で、帰りにも多くの人が訪れていました。正直、私今回のお城名前は聞いたことありましたが、誰の城だとかほとんど知りませんでした。

 

大手二の門

 

慶長2年(1597)生駒親正、一正父子丸亀城築城に着手します。元和元年(1615)一国一城令で廃城となります。寛永17年(1640)生駒氏は生駒騒動により讃岐一国を召し上げられ、出羽国矢島一万石に転封になりました。

寛永18年(1641)山崎家治が西讃岐5万石の領主として入場し、丸亀城を再築しました。このころ築城技術が最も発達してきており、現在の石垣が築かれました。しかし、明暦3年(1656)山崎氏は嫡子がなく絶家しました。

万治元年(1658)京極高和が6万石の領主として入場。以後、京極氏が6代明治維新まで続きました。

内堀

 

大手門内の鉄砲狭間、弓狭間

 

大手一の門

 

藩主玄関先御門

 

三の丸北側の石垣

丸亀城の石垣のなかで最も高く、20m以上の城壁が続きます。隅角部の石垣は算木積みされた美しい曲線美で「扇の勾配」と呼ばれてます。

 

月見櫓跡

讃岐富士を正面に望みます。

 

二の丸井戸

築城に関わる藩士羽坂重三郎の悲しい伝説がある井戸です。石垣の工事の担当をしていた羽坂は城が完成した後、藩主とのなにげない会話で失言をしてしまいます。藩主が「この城を超えることが出来るのは空を飛ぶ鳥くらいであろうな」と言ったところ、羽坂は「石垣を作った私になら鉄の棒が数本あれば登り切って見せますよ」と。そして実際に見事石垣を登り切ってしまったのです。このことが敵国に知れるとまずいと思った藩主は、ある日羽坂が二の丸井戸に道具を落としてしまい中に入って取りに行った時、上から石を落とし殺してしまったのです。

 

丸亀城天守

3層3階の現存木造天守です。唐破風や千鳥破風で意匠を凝らしています。この天守は四国内で最も古く万治3年(1660)に完成しました。日本一小さな現存天守です。

 

御城印

丸亀城の天守で購入できます。100名城スタンプも天守で押せます。

 

丸亀城縄張り図

 

翌日に、泊まった「琴参閣」(仲多度郡琴平町)という旅館(ご飯も美味しかったし、温泉も気持ち良かったです。)から歩いて金比羅宮を参りました。785段と階段が多く、なかなか家族もみんなしんどかったですが、それだけに境内からみる景色は美しかったです。海の守り神として有名で、天皇の崇敬も厚く、江戸時代ころから全国の高貴な人から庶民まで伊勢神宮のお伊勢参り同様に金毘羅参りが流行しました。

 

「こんぴらうどん」さんのかき揚げうどん美味しかったです。

金比羅宮の参道はお土産屋さんがたくさんで、色々な店に目移りして飽きないですね。

 

「金陵醸造元」さんの日本酒も買いました。

 

他にも地ビールや骨付き鳥チップス、日出製麺の生うどんなども買いました。

 

 「こんぴらプリン」さん

 

こんぴら狗(いぬ)ゴンちゃんをモチーフにした?こんぴらプリンもとても美味しかったですよ。


江戸を中心とした東日本各地からの金毘羅宮への旅は当時は大変で、当人に代わって旅慣れた人が代理で参拝に行くことがありました。これを代参と言いました。代参をしたのは人だけでなく「こんぴら参り」と記した袋を下げた飼い犬が行くことがありました。袋には飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費が入っていました。犬は旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人に世話をされ、目的地にたどり着いたのです。こういった犬をこんぴら狗と言いました。参道にこんぴら狗ゴンの銅像があります。実際に今回の参詣でも犬を連れている人を何人か見かけました。


こんぴら狗像


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