宇佐山城 滋賀県大津市 | くろかんのブログ

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行った史跡や読んだ小説をご紹介

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


令和4年12月31日に滋賀県大津市南滋賀町にある宇佐山城を息子2人と訪れました。車で山科から30分くらいでした。これまでで1番近いところにありました。最近読んでいた小説、波多野聖 著「ダブルエージェント明智光秀」で登場してきたので行ってみたくなりました。以前、奈良大学の千田先生もテレビの撮影で訪れていました。


宇佐山の中腹に宇佐八幡宮があり、ここの駐車場に車を停めました。当日は地元の方々が新年を迎えるために掃除や用意をやっており邪魔になったかも知れず申し訳ありませんでした。駐車場までの道があまり舗装されておらず、細いので要注意です。

前九年の役を終わらせた源頼義がここ錦織荘に館を構え、九州大分の宇佐神宮を鳩の群れが導き示したこの地に勧請し宇佐八幡宮を建立しました。子供の守り神としても崇敬を集めています。子供たちの無事安全を祈りました。この宇佐八幡宮から登山を開始します。


登城する息子たち

途中に付近の小学校の生徒たちが買いたと思われる道案内板があり、助かりました。この前行った周山城よりは道のりも短くしんどくはなかったです。


1570年(元亀元年)大阪本願寺勢と交戦中であった織田信長は浅井、朝倉から京を守る抑えを森可成に命じ、ここに城が築かれました。この年、浅井長政、朝倉義景が攻めてくる宇佐山城の戦いが起き、六角氏や比叡山僧兵らにも攻められ森可成、織田信治(信長の弟)は寡兵ながら奮戦しますが、ついに討死します。

宇佐山城の危機を知った信長は本願寺攻めを諦め、救援に向かいます。信長の大軍に恐れをなした浅井朝倉軍は比叡山へと兵を引き、何とか落城は免れました。

比叡山との講和で戦は終結するも、浅井朝倉軍の引き渡しは拒否され、冬になる前に両軍は自国へ帰っていきました。

信長は比叡山が浅井朝倉に味方したこと、僧侶たちは仏に使えると名ばかりで酒色に耽って堕落していることを理由に1571年(元亀2年)全山焼き討ちにすることを決め実行します。その司令官に明智光秀が抜擢されました。

明智光秀はその功により、信長により志賀郡と宇佐山城を与えられました。その後、琵琶湖畔に坂本城が築城されるとそこに移り、宇佐山城は廃城となりました。


本丸の石垣

本丸にはテレビ塔が建っています。


本丸の石垣


本丸の石垣


二の丸


三の丸


三の丸から見える膳所方面


三の丸から見える坂本方面

琵琶湖畔と街並みが一望できて最高に気持ちいいながめです。


今年はみなさんにとっても良い年になることを祈ります。

私もマイペースで歴史探訪をしようと思います。よろしくお願いいたします。


ホテルサンルート彦根さんで御城印シールが買えました。郵送代、手数料かかりますが、送ってもらえます。