鎮西探題跡 愛宕神社 福岡県福岡市西区 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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2010年8月10日帰省のとき一人で行ってきました。父のトヨタの新車アリオンで行ってきました。エンジン音が小さく非常に乗り心地が良かったです。黒のボディがかっこいい車です。上写真2枚は愛宕山山頂の愛宕神社、下写真は愛宕神社から見える博多湾です。福岡タワーが見えますね。ちかくにはマリナタウンがありました。福岡も私がいない間に都市高ができてずいぶんと交通の利便性がよくなりましたね。
ちなみに鎌倉幕府幕府最後の鎮西探題北条英時は足利尊氏の正妻橙子の兄、赤橋守時の兄弟であり、つまり尊氏とは義理の兄弟だったようです。
(九州に落ち延びた)尊氏といい赤橋家といい福岡とは遠からず縁があったようですね。

 

鎮西探題(ちんぜいたんだい)は、鎌倉時代に幕府が九州の統括のために設置した機関である。行政・訴訟(裁判)・軍事などを管轄した。1274年(文永11年)、1281年(弘安4年)の元寇の後に設置される。1293年(永仁元年)に9代執権北条貞時のころ北条兼時・名越時家が派遣されたのが創始で、それまで設置されていた鎮西談議所は廃止される。1296年(永仁4年)の北条実政から1人体制となる。1299年(正安元年)には評定所・引付衆が設置され訴訟裁断権を持った。
探題館(探題城、姪浜城または鷲尾城とも)は筑前国早良郡の愛宕山(現在の福岡県福岡市西区愛宕)に置かれた。
1333年(元弘3年)に後醍醐天皇の討幕運動から元弘の乱が起こると、鎮西探題の北条英時は呼応した少弐貞経や大友貞宗、南九州の島津貞久らにより攻められ滅亡する。後に室町幕府は九州統治のため、鎮西探題に倣って九州探題を設置した