ピースメーカー天海 波多野聖 著 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

行った史跡や読んだ小説をご紹介

 

年4回の楽天スーパーSALE開催!9月4日~11日まで!

 

 

波多野聖さんの小説初めて読みました。本屋でこの小説の冒頭を読んでやっぱり惹かれたのは、時々言われる天海=明智光秀説を用いているところでした。

関東の寺で仏教に励む天海は徳川家康と手を結ぶことになります。

そして、秀吉亡き後の豊臣政権を倒すため家康にさまざまな知恵を授けていきます。石田三成との関ヶ原を制し、さらに大阪の陣で豊臣秀頼と淀君を退けやっと天下を取ろうとした矢先、家康はこの時、豊臣方の襲撃を受け討死してしまうのです。

しかし、天海は全く動揺せず、影武者を家康に見立てその場を乗り切るのです。この事実を知るのはごくわずかな近臣だけでした。この辺りは昔マンガで見た原哲夫氏の「影武者徳川家康」と同じだなと思いました。大阪には確かに家康の墓があると伝わる南宗寺があるのです。一度行ってみたいです。

天海は伊賀忍者に伝わる術を使って影武者家康を自在に操り、幕府の基礎を固めて行くのです。そして、2代将軍秀忠、3代将軍家光にまで支えていきます。家光の乳母は春日局といい、明智光秀に仕えた斎藤利三の娘であります。

天皇に秀忠の娘を送り、徳川家が天皇の外戚になり朝廷にも影響を及ぼすようにします。

武家諸法度、禁中並公家諸法度や参勤交代など全国の大名や公家を抑える制度作り、ぬかりありません。

影武者家康の墓を日光に東照宮を作り、家康を幕府を守る神に仕立て上げました。また江戸の鬼門である北東の方角に京都の比叡山延暦寺にならって東叡山寛永寺を建てました。上野の不忍池は琵琶湖に見立てたものだそうです。

日光東照宮から見渡せる平野を明智平と名づけました。

天海は戦のない平和の世を作るため3度主君を変えました。そのためには下剋上を明智光秀で最後とし(この時は信長が自ら天皇にとって代わろうとしたのを阻止した)なければならないと考えた。そのために士農工商という身分を明らかにし、その身分に代々縛りつけることが正しい道と考えた。

天海は100歳以上生きたと言われ、江戸で亡くなりますが、朝廷から慈眼大師という諡を賜りました。全国に3つある墓の内、一つは滋賀県大津市坂本の明智一族の墓がある西教寺の近くにあり、また京都の光秀が作った周山城の近くには慈眼寺があり黒塗りの明智光秀像が今でも秘蔵されています。

 

実はこの小説三部作で織田信長に仕える明智光秀というものが一作目にあるようなので、また今度読んで見ようと思います。