岡城 大分県竹田市 100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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令和元年5月4日私と父は竹田市の岡城に向けて九重町の筋湯温泉旅館を出発した。子供達を含めて家族は九重花公園に遊びに行くことにしました。こういう二手に分かれる別行動よくやってるんです。その方がみんなが楽しめるし、効率よく回れるので。

 
岡城全体図
 
大手門付近の石垣 関西の穴太衆を呼んで築城したようです。
 
城代屋敷跡から三の丸跡付近を臨む
完全な崖になっていて、真下を見ると怖くて立ちすくみました。感じとしては兵庫県の竹田城に似ています。
 
三の丸門
 
三の丸跡付近から城代屋敷跡を臨む 現代に入っての補修工事の跡が見えます。
 
本丸にある西洋化をいち早く取り入れた名将滝廉太郎・・・
 
ではなく、作曲家の滝廉太郎さんの像
12歳から14歳の間にここ竹田に住んでいた滝廉太郎は荒廃した岡城でよく遊んでおり、その時の情景を歌にしたものが、名曲荒城の月と言われています。
 
廣瀬武夫像 
岡城の麓に廣瀬武夫中佐を祀った廣瀬神社があります。日露戦争で活躍しました。司馬遼太郎氏の坂の上の雲にも登場する人物です。

 

豊臣秀吉による九州征伐後、播州三木から転封してきた中川秀成(中川清秀の次男)により城が整備されました。その前の大友氏一族の志賀親善の時、南から攻め上がる島津軍3万の攻めに耐えた堅城として知られています。

 

もう一つ驚くことは、この城まあまあ高いところにあるんですが、江戸末期の廃藩置県に至るまで政務が行われていたことです。通常山城は戦などの非常時に使われて、平時の政務は麓の屋敷で行うことが多い。

 

中川清秀といえば、先日行った高槻城の高山右近とは従兄弟にあたります。たまたま行ったこの2城にこんな繋がりがあるとは驚きでした。私の勉強不足によるものですが・・・

 

中川清秀は賤ヶ岳の戦いで討ち死にするキリシタン大名ですが、当然息子の秀成も洗礼を受けていたようです。

 

岡城の麓の城下町には禁教令からキリシタンを匿う洞窟礼拝堂もありました。

 

時間がなく、城下町は回れまなかったのが残念です。

 

道の駅で買ったお土産のかぼす餅

 

九重の牧場の牛乳から作られたヨーグルトリキュール

何か最近観光地で酒をよく買うなー

 

この後、家族たちと合流して昼ご飯を食べて福岡に帰りました。なかなか充実した大分旅行でした。

今回のツアーを段取ってくれた父親と一緒に来てくれた家族に感謝です。