平戸城 長崎県平戸市 100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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平成27年9月20日シルバーウイークを利用して実家の福岡に家族と帰り、久々に両親と妹と再会して長崎の平戸に行ってきました。平戸は九州の西北の端に位置します。かつては長崎に出島ができるまでは交易で栄えた町ですね。今でもオランダ商館跡やイギリス商館跡や教会があります。久々の100名城です。福岡からは母方の祖父母の墓参りをしたのでちょっと遠回りしたので3時間半くらいかかりました。
平戸海上ホテルに泊まりました。海を見渡せる素敵なロケーションです。このホテル、観光バスによる夜の史跡案内をやってくれました。



夜のライトアップされた平戸城



ザビエル教会


オランダ橋


森酒造さん。ここで夢名酒というワインのような香りの日本酒を買いました。



左側が夢名酒で、右側はじゃがたらお春といってなんと!!ジャガイモの焼酎です。珍しいので買ってしまいました。ポルトガル人と結婚したがために夫と共にジャカルタへと追放されたお春さんという方の悲しい物語があるようです。


その日の夕食には鮑が出ました。



ヒラメの刺身も久々に食べれました。おいしかったな~

翌日 、まず松浦史料博物館に行きました。ここは松浦鎮信が日の岳城焼却時に、代わりに政務を行った御館をその子孫が博物館として提供したものです。


松浦家に伝わる鎧


ポルトガルより伝わった鉄炮


1550年鹿児島の次にここ平戸にやってきたフランシスコザビエル。ここでも100名がキリスト教の信者となった。しかしカトリック勢力による植民地化を恐れた豊臣秀吉、徳川家康により迫害された。


隠れキリシタンの旗


隠れキリシタンのロザリオ

松浦氏は初めはポルトガルとうまくやっていたが、貿易だけを望む松浦氏と貿易をするならキリスト教への改宗と布教を認めろとせまるカトリックのポルトガルは当然うまくいきませんでした。その後遅れてやってきたプロテスタントのオランダやイギリスは布教をせずとも貿易だけしてくれるということで、松浦氏との関係はうまくいったのです。この時、後に家康の側近となるウイリアムアダムスが大いに活躍します。その後平戸を追われたポルトガル船団は長崎へと行き着き大村氏に庇護されます。敵対勢力の竜造寺氏などに対抗するため大村氏は軍事力技術力を得るため改宗し、領地の一部をポルトガルに割譲します。こうして長崎は寒村だったのが南蛮風の都市へと姿を変えるのです。しかしこのことが当時の為政者だった秀吉や家康の不信感を得、キリシタン弾圧を受け、多くの悲劇を生みました。また天草四郎を中心とした島原の乱が起き、長崎は幕府の直轄領、天領になるのです。

続く