熊本城 熊本県熊本市 100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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平成24年8月13日前日家族で阿蘇温泉旅行に行った帰りに行ってきました。俺みたいな歴史マニアなんてそういないだろうみたいな軽い気持ちでいくと・・・もう駐車場は満車でなかなか入れない。城周りにも人がわんさか。最近よく観光地で見かける中国人の富裕層観光客もちらほら。そしてお前ら絶対加藤清正のかの字も聞いたことないだろうみたいな、絶対歴史に興味ないような方々まで。要するに熊本に来たら、とりあえず行っとこか的な感じでしょう。まあ内の嫁も母もそうですけどね(泣き)
ここは豊臣秀吉の家臣で、後、1600年の関が原の戦いでは石田三成嫌いのため東軍の徳川家康に付いた築城の名手、加藤清正公が築いたお城です。対島津戦を想定して強固な造りにしたそうです。それから200年後本当に対島津戦(日本最後の内戦といわれる西南戦争)がおこるとは清正でも思わなかったでしょうが。しかも熊本鎮台司令官の谷干城は西郷隆盛軍の猛攻をしのぎました。司馬遼太郎の「翔ぶが如く」にありましたが、西郷は「我々は新政府軍に敗れたのではなく加藤清正(が作った城)に敗れた」と言わしめたほどの堅固さなのです。
まあ加藤氏は清正の後、あっさり改易となりその後は細川氏が転封され以後明治維新まで続きます。あの細川護煕内閣総理大臣を産んだ細川氏です。
清正は武将としても有能ですが、城造りも上手でした。名古屋城の築城にも関わっています。この熊本城は広さだけでいったら大阪城よりも広いんじゃないでしょうか。まあ現在の大阪城は徳川時代に修復されたものですから、豊臣時代はもっと広かったみたいですけど。ただ歴史マニアとして誇りに思いたいのはこの城には、大阪城や名古屋城と違って城内にエレベーターがないことですね。まあお年寄り、体の不自由な人にはうれしいかもしれませんが、私としては城の中にあんなものがあったら違和感があるいうか興醒めしてしまいますね。歴史ロマンもあったもんじゃない。そこは清正も喜んでいると思いますよ(たぶん)。

 

天守
 
 

二様の石垣

 

熊本城おもてなし隊

 

城内の大銀杏 
朝鮮出兵時、蔚山城篭城戦の教訓で清正は城内に多くの銀杏を植え、多くの井戸を掘った。

熊本鎮台司令長官 谷干城(たにたてき)
幕末時代は龍馬を尊敬する土佐人志士だった。

 

熊本といったら、やっぱり馬刺しですね。

これを食べずに帰れるものか!