駿府城 静岡県静岡市 100名城 | 細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

行った史跡や読んだ小説をご紹介

平成24年7月1日に行って来ました。前日に嫁の親族の結婚式が静岡の浜名湖の近くであったので、翌日嫁と息子と嫁の母と一緒に行きました。慣れない新車プレマシーと梅雨による雨のせいでコンディションは最悪。子供を抱えて、傘をさしながらの見学でした。静岡市が駿府城周辺に栄えているのを行ってみて初めて知りました。駿府城址が駿府公園となっていました。当時のものとしてはお堀と家康お手植えのみかんが見れました。

北御門
 
二の丸水路
 
徳川家康像
 

家康お手植えのみかん

 

再建された東御門、巽櫓が資料館になっていたので入ってきました。息子は鎧が怖いらしく遠くから恐る恐る眺めてました。

再建東御門、巽櫓

 

東照大権現(徳川家康)像

 

徳川家康鎧

 

天正13年(1585年)から徳川家康により、駿府城は近世城郭として築城された。この時に初めて天守が築造されたという。その後天正18年(1590年)、豊臣政権による後北条氏滅亡に伴う家康の関東移封が行われ、徳川領国と接する駿府城には豊臣系大名の中村一氏が入城する。

江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、駿府に隠居した。しかし政治的影響力を持ち続けたため大御所と呼ばれた。このとき駿府城は天下普請によって大修築され、ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が完成した。

1609年(慶長14年)に家康の十男・徳川頼宣が50万石で入封し駿府藩が復活したが、1633年(寛永10年)以降は明治維新まで幕府の直轄地となり駿府城代が置かれた。

 

資料館になるほどな~と思う東照公遺訓が書いてありました。
「人の一生は重荷を負いて、遠き道を行くが如し。いそぐべからず。不自由を常とおもえば不足なし。心に望み起こらば、困窮したるときを思いいだすべし。堪忍は無事長久の基。いかりは敵とおもえ。勝つことばかり知りて、負くることを知らざれば、害其の身にいたる。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」
さすが耐えて耐えて最期に天下を取ったという感じですね。

 

本当は掛川城もついでに行きたかったのですが、時間もかかりそうだったし、京都に帰らないといけなかったので次回に見送ることにしました。帰りに近くのうなぎ屋さんでうな重を食べて帰りました。おいしかったです。

 
覇王の家 (新潮文庫 し 9-25)/新潮社
¥802
Amazon.co.jp
家康について唯一読んだ本です。