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癌さんありがとう。きょうこの「いただきます」ブログ

富士山の麓で暮らす血縁を超えた大家族、木の花ファミリー。互いに助け合い、生かしあう、愛がいっぱいのコミュニティ。
そんな中で、癌をいただきながら、日々の想いを発信していきます。

1月13日で、48歳になりました。

退院してちょうど1カ月。

まさか、こうして48回目の誕生日を無事に迎えられるとは、思っていませんでした。

 

実は、私が入るための棺桶はすでに用意されていました。

昨日、それを見に行きました。

改めて、こうして今生きていることが不思議で、有り難いばかりです。

 

今回のことで、私は新しい人生をいただいたのだと思っています。

古い自分を卒業して、新しい自分を生きる。

「お前にしかできないことをやり切るために、生かしてやったのだぞ」

と夢で言われたことがありました。

 

私が退院した時、木の花ファミリーで生まれ育った玲衣花という21歳の子が、メールをくれました。

「郷子ちゃん、誕生日おめでとう。
誕生日は生まれた日と、
生まれた意味が本当に分かった日だと思う。」

と書いてくれました。

 

 

先日、退院後にCT検査をした結果を聞きに行ったのですが、癌は入院前に6.5cm位だったのが、

2~3cmに小さくなっていたそうです。

でも、まだ私の中には癌細胞があることは確かであり、癌とともに今もあることには変わりはありません。いつ何があるかも全く分かりません。

 

だから「今日も出会えたね。生きていたね。」と一日が始まり、

「今日も良い日だったね。」と一日を終える。

悔いのない毎日を送ることだと思っています。

 

夢で言われた「お前にしかできないことをやり切るために、生かしてやったのだぞ」

その言葉がいつもどこかにあります。

 

一人一人が、その人オリジナルの花を咲かせるために、この世に生を受け、

そしてまた元の場所へと帰っていく。

 

* * * * * * * * 

 

木の花楽団の新曲「花よ天まで」は、そんなことを歌っています。

 

そこで生まれて そこへと帰る

人は忘れてしまうけれど 懐かしい

 

・・・・・(中略)

 

むかし むかし 天の神は

黄金の種を 地にまいた

種は泥の中で かき混ぜられて

生きとし生ける ものとなりました

 

生きとし生ける 命たちよ

みなみな ひとつに連なりて

一人ひとりが 花開くなら

美しき弥勒の世が開く

 

花よ花よ 天へと向かえ

花よ花よ 美しく咲きほこれ

 

花よ花よ 天まで届け

花よ花よ 美しく咲きほこれ

 

そこで生まれて そこへと帰る

木の花(個の花)咲き乱れる ここは桃源郷

 

* * * * * * * * 

 

一人ひとりがそのことに気付いたなら、

今世の中は混乱の中にあるけれど、きっと桃源郷が現れるでしょう。

誰もが神様がまいてくれた種から出来ている、という事を思い出せばいいのです。

 

この写真は、木の花ファミリーの蓮池です。

7~8月には池全体が蓮の花でいっぱいになり、まさに桃源郷。

そんな蓮の画像をたくさん取り入れて、木の花楽団の「花よ天まで」を音声付きで、フェイスブックに1月6日付でアップしています。是非ご覧ください。

 

落語の名作で「時そば」というのがございますが、

本日は「時そば」ならぬ、現代版「路上そば」一席お付き合いください。

 

* * * * * *

 

・・・と、ここから、落語風に語れればよいのですが、

残念ながら、普通の言葉でご勘弁ください。

 

私が入院している時のことです。

大量に出血したあとで、お腹はすくのですが、ものを噛む気力が無くなってしまい、何か喉越しの良いものなら何とか食べられるという時がありました。

麺類なら食べられそうだということで、木の花ファミリーのキッチンチームにリクエストしたところ、なんと手打ちのそばが病室に届けられました。

 

木の花ファミリーは84人の血縁を超えた大家族なのですが、それだけ人がいると、いろいろな特技をもった人がいるものです。

その一人“やじー”はそば職人。

毎日毎日、こんなにしてもらっていいのかしら、たまには乾麺を茹でたものだっていいのに、と思うくらい、毎日毎日手打ちのそばを病院に届けてくれるのです。

 

 

その時の私にとっては、食べるのも一仕事でした。なるべく出血しないようにベッドに寝たまま食べます。一人では食べられないので、介助してもらいながら食事をするのです。

そして、体力が落ちると、食べるという事自体に結構エネルギーがいるのですね。休み休み少しずつ助けてもらいながら食べるのです。

 

食事が体を作る、ということは分かっていたつもりでしたが、こういう状態をもらって、こんなに食べ物を嚙み締めたことは、今までありませんでした。

あぁ、この食べ物が私の一つ一つの細胞に変わっていく、血に変わっていくのだな、と思いながら噛み締めていました。

 

そのころは、まだ出血が止まっておらず、危ない状況ではありましたが、血液というものは大変貴重なもので、私のように入れても出てしまうのが分かっている人に輸血することは出来ないのだそうです。

それでも、断続的に出血が続き、最初に輸血したときの貧血値よりさらに下回る値が出てしまい、特別に560ccだけ輸血をしてもらいました。

けれど、その2日後、輸血した分全部出てしまいます。さらに翌日800ccの出血。

さすがに、自分でももうダメだと思いました。

眠って目が覚めるたびに「あぁ、生きているな」と思うのです。

 

もうこの後は輸血は出来ません。

残された手段は自分で血を造るしかない状況でした。

 

そして、本当に体が一生懸命血を造ってくれたのだと思うのです。でも、それは通常の造り方とは違う何かが働いたとしか思えません。もうダメだと何度家族が呼ばれたか。

人の体は、緊急事態になると、通常とは違う仕組みが働くそうです。今回、何がどう働いてくれたかは分かりませんが、体が総動員して血を造ってくれたのでしょう。

 

体がいつもと違う奇跡的な働きをしてくれたのには、いろいろな理由があったと思います。木の花ファミリーのみんなの想いであったり、体自身が持つ生命力であったり、病院の看護師さんたちの暖かい看護であったり・・・その一つが、毎日届けてくれた「そば」だったと思うのです。

 

ある日「今日は新そばだよ。」とそば職人やじーが、前掛けをかけ、服にはそば粉が付いたままの姿で病室に現れました。その年に収獲したそば粉を使って打った新そば。挽きたての粉が届いた翌日のことでした。いつもは他のファミリーのメンバーが届けてくれるのですが、この日はやじーが直々にやって来たのです。

 

病院の湯沸し室は使えないということで、「ちょっと待っててね。」と姿を消したやじー。

しばらくすると、助手としてやって来たさっちゃんが、茹でたてのそばを持って来てくれました。

車に大なべ、ザル、ガスコンロなどの道具を載せて来たそうです。病院の駐車場では、さすがに迷惑ということで、近くの路上でそばを茹でたとのこと。

 

実は、その話を聞いたファミリーのメンバーが、そんなことやめたほうがいいと止めようとしたそうですが、それより先に出発したやじー。きっと「新そばは茹でたてを食べてもらいたい」との強い思いからこんなことになったのでしょう。

 

いつもは寝たまま食べるのですが、その日ばかりはベッドを起こして食べました。

つやつやに光った茹でたてのそば。口にいれるとそばの香りがふわっとして、なんとも言えず美味しく、私の人生で一番美味しく感じたそばでした。

 

熱い思いの熱血漢やじーだからこそ、こんなことを思いついたのでしょう。

路上でそばを茹でている光景を想像すると、漫画になりそうで笑ってしまいます。

可笑しくて、有り難くて、泣き笑いしてしまいました。

 

そんな「そば」のお陰で、今こうして命が繋がって、生きています。

 

病室に来たみんなとこんな話をしました。

「そばがきょうこちゃんの中で生きているから!(笑)」

「つなぎが良かった!(笑)」

 

お後がよろしいようで。

 

そんな、私の命をつないでくれた「命を蘇らせる、本物のそば」。

是非一度味わってみて下さい!

詳しくは、木の花ファミリー「あうんの会」をご覧ください。

 

冬休みが終わり、新学期が始まりました。

私には小学校1年生の息子がいて、蘇万伊流(スマイル《本名です》)君といいます。

なかなかユニークで、私にもよく理解できないところもある面白い子です。

 

小学生がランドセルを背負って通学する姿を見ると、いつもこの出来事を思い出します。

 

入学前に、両親から入学祝をもらい、それでランドセルを買いました。

本人はとても喜んでいました。

 

ネットで注文したのですが、届いたのは明るい茶色のランドセル。

側面にはピンクの糸でハートの刺繍。ふたを開けるとピンクのハート模様がいっぱい・・・。

 

 

私の反応は「・・・・・?!きっと何かの間違いに違いない。女の子用と間違えたのではないか。」

子供達には「返品するかも知れないから、触らないでおいてね。」という私。

がっくりするスマイル君・・・。

 

そのあと、どうする?と本人に聞いてみたところ「黒いのがいい。」ということで、黒いランドセルに交換してもらったということがありました。

 

悪いことをしてしまったな・・・。

とはいえ、そんなことでクヨクヨするような子ではないのですが、

それにしても思い出すたびに、私にとっては苦い思い出です。

 

一体誰が、ピンクは女の子。ハート柄は女の子と決めたのか。

そんなこと誰も決めていないのです。

私の価値観ではそうだったのです。

お店でも、女の子のコーナーと男の子のコーナーがあって別れています。

 

固定概念って恐ろしい・・・。

いつの間にか、ある一定の基準が「正しい」になってしまっているのです。

私はまさに、そこに囚われていたな、と思います。

 

囚われのないスマイルくんは、ハートのついたランドセルを選んだだけのことなのです。

 

 

・・・さて、そんな「囚われ」ということを考えていたら、ちょうど面白い番組に出会いました。

1月4日に放映されたクローズアップ現代「幸福を探して 人類250万年の旅」です。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いた『サピエンス全史』を通して、新しい歴史の捉え方を紹介する番組でした。そして、ネットでいくつかの書評と著者インタビューも読んでみました。

 

そこで言われていることは、「人類の繁栄とは“虚構”の上にある」ということ。

“虚構”とは、フィクション、人間が創り上げた実態のないもの、とでも言ったらいいのでしょうか。

 

以下は、ネットからの引用です。

 

* * * * * * * * 

 

・文明が発達するほど、我々は不幸になっていく。なぜならその文明は「虚構」の上にもたらされたからだ──。

 

・宗教、国家、法律、企業、貨幣-。現代文明を動かすこれらの概念も、7万年前の神話と同じくすべて実体としては存在しない虚構の創作物だが、みなが信じることで複雑で高度な社会を営むことができる。ただ、文明の発展で個々の人間が幸福になったかは、また別の問題だという。「現代人は2万年前の人とは比較にならないほど多くの力を得た。だが幸福感という観点からは、必ずしも2万年前よりも幸福になっているといえない」

 

・500年前に起きた「科学革命」。進歩を信じ、新しい知識を得るのは良いことで、どんな問題も克服できると確信するようになった。この考え方は経済にも取り入れられ、技術や組織が発展すれば、富の総量が増える。「資本主義の第一の原則は、経済成長は至高の善」と信じるようになった。

 

・「いま世界で一番重要なストーリーは資本主義。経済成長が世界の全地域をよくすることにつながると信じています」


・「問題なのは、経済成長はある一定レベルに達した以降は、必ずしも幸せに結びつかないということ。物を買うことが幸せにつながらない段階が訪れます。集団でも、経済の成長がすべての問題の解決をもたらすわけではありません。経済成長を追求すれば、生態系には大きな危機が訪れる」

・「地球温暖化を止める唯一の方法は経済成長を止めることでしょうが、どの国もそうしようとはしません。人々は反対運動を起こすでしょう。人が生活していくには経済成長が重要だという考え方から逃れられない。それが21世紀の最大の危険な状況だと思います」

 

* * * * * * * *

 

これらを読んで感じたこと。

マスコミでは、この本がセンセーショナルだと話題になっていますが、

そんなに目新しい視点だろうか、ということ。

 

確かに、今までの歴史観とは違った新しい視点からものですが、

きっと、多くの人が「ん?何かおかしいぞ、この社会」と思っていると思うのです。

「経済成長=幸福」?

心のどこかで、何かが違うと分かっているのではないのでしょうか。

でも、だからといって、どうしていいのか分からない。

それは、今世界中の多くの人が、囚われているフィクションに代わるものが見い出せないからなのではないでしょうか。

 

私自身も、この一見豊かに見える現代社会に疑問を感じ、「何が幸せなのか」を探し続けてきました。

その結果、木の花ファミリーの生き方に出会ったのです。

 

著者のユヴァル・ノア・ハラリ氏はこう言っています。

「そうした虚構がどのようにして作られ、なぜこれほど力を持つようになったのかを知りたかった。そして、その虚構を超えたところにある真実にたどり着きたかった」

「最後は、人間が欲望をいかにコントロールできるか、にかかっている」

 

 

入院しているとき、夢でお釈迦様に教えてもらいました。

「おまえは、肉の目はみえるかもしれないが、心の眼は盲目であった」

ピンクのハートに囚われているようでは、まさに盲目の状態です。

 

いかに人は虚構に囚われて、物を見ているか。

次のステージに行くためには、その「虚構を超えたところにある真実」にたどり着くためには、

いかに囚われを外していくか、いかに自らをコントロールできるかにかかっていると思うのです。

 

行き詰った現状を突破するためには、デモや反対運動をすることより、革命や戦争をするより、

一人一人の心の囚われを取っていくことに行き着くのだと思います。

だから、希望が持てるのです。

だって、人を変えるのではなく、自分を変えていけばいいのだから。

 

でもそれは、簡単なように思えて、

実は一番乗り越えるのが難しい“自我”を超えていくということ。

それが、本当の「ジハード(聖戦)」なのかも知れません。

 

 

 

追記:この『サピエンス全史』については、木の花ファミリーのメンバー・なかのんが「木の花ファミリーの経済から世界を見る“『サピエンス全史』から時代主義へ”」の中でも触れているので、併せてご覧ください。

 

また、今の社会どこか違うとか、「囚われ」から解放されたいと思っている方には、2017年2月19日~3月18日まで開催される「1カ月の真学校@木の花ファミリー」をお薦めします。

きっと次に繋がる新しいビジョンが見えてくるはずです!