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癌さんありがとう。きょうこの「いただきます」ブログ

富士山の麓で暮らす血縁を超えた大家族、木の花ファミリー。互いに助け合い、生かしあう、愛がいっぱいのコミュニティ。
そんな中で、癌をいただきながら、日々の想いを発信していきます。

木の花ファミリーでは、毎年節分前の一年でもっとも寒い時期に、「富士浅間木の花祭り」を開催します。愛知県奥三河の山村で700年間受け継がれてきた国の重要無形民俗文化財「花祭(はなまつり)」を富士の地で継承し、独自に発展させたこの祭りは、人々が丸一日舞い踊ることで心の穢れを祓い清め、調和の響きを世界に発信して新たな時代の幕開けを祝うお祭りです。

 

昨日1月28日、この「富士浅間木の花祭り」が行われました。

来客の方も含め、皆で楽しく舞い踊り、大切なことを確認できたお祭りでした。

私たちだけでなく、この世界、この地球にとって大切なお祭り。

そして、もうすぐ2月3日の節分、2月4日の立春を迎えます。

 

昨年の立春正月でのいさどんの挨拶「凛とした心で」から引用します。

 

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新たな季節を迎える節目の節分では、邪気を祓うということで、聖なる穀物である豆によって鬼が打ち祓われてきました。それが、本当に世の中に福をもたらしたのかどうかを、今の世の中を通して観てみると、そこには福という欲望が蔓延し、欲のままにあり続けようとひしめき合っている人々の姿が観えてきます。

 

そこで鬼に向かって邪気祓いの豆をまく人間の心を観ると、幸せになりたい、豊かになりたい、というものでした。そういった幸せや豊かさを求める心も、最近では、他者のことや世の中を想うよりも、自らの願いだけが叶えられればいいというような、わがままな傾向になってきています。それがたくさんの人の心に広がったことが、この世界に不調和を生み、そこから対立が生まれ、現代の優れた技術によって生み出された本来豊かになるためのものであるテクノロジーも、大地を汚し、自然のサイクルを曲げ、人々の中に格差を生み、混乱をもたらすものとなったのです

 

ここで人間の立ち位置に立たず、この世界の現状を観るために、自らの視点から離れて観ることができたら、邪気とは、我先の心で自らの欲望を叶えることを求め、他者のことを想わない人の心の中にある、ということがわかるでしょう。それがわかれば、人間を健やかに育ててくれる豆は、人の中に巣食っているわがままな心にまかないといけないということが観えてきます。

・・・・・しかし世の中では、こういった切り替えの時を迎えても、まだまだ冬が続いているかのように、新たな息吹は感じられません。それは、社会を構成する人々の中に、我先の心が強すぎるからです。

富士浅間木の花祭りは、そういった世相の邪気を祓い、人々が生まれ清まり、新たな時代にふさわしい心となり、美しい社会を生み出すための願いを込めて行われているのです。

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私たちは畑を耕し、自然から食べ物をいただいています。健全な食べ物を世の中にもたらすということも役割ですが、私たちの生き方はそのような小さなものではありません。

私たちは、世の中という畑を耕し、そこに正しい生命の息吹となる、種をまく。それは心の種です。そういった役割が、私たちの生きる道にはあるのです。

そういった大切な時代の流れを感じ、天の意志を受け、その役割をいただいているということに気付いた時に、私たちは生きていることの意味を実感し、充実した尊い人生を生きられるのです。

 

そういった人々の姿勢の先に、とびっきり美しい世界が待っています。その人々には、美しいを求め、豊かさを求め、幸せになろうとして行き着く先があるのです。人類は今、そこに向かう道を歩んでいます。それは自らの汚れを知ることから始まります。泥の中から美しい花を咲かせる蓮のように、人生の花を咲かせる。そういった芽を出すのが、その大事に気付いた者の、社会に対する責任なのです。

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「鬼は外」「福は内」と

小さい頃からずっと、そう言って節分を迎えてきました。

とかく人は悪の元を外に求めてしまうものです。

 

この富士浅間木の花祭りでは、

「鬼は内」

 

「鬼は外」と大切な鬼を外に追い払ってきた結果、今の世の中がある。

その悪の大本は、本当は自分の心の中にあるのに。

鬼は打ち祓うものではなく、鬼様として、この世の悪や自らの中に巣食う悪い心を睨んでくれる大切な存在なのです。

 

「鬼は内」と鬼を大切にすると、きっと「福も内」で福がやって来る。

本当に幸せになるためには、全く逆の発想にならないといけないと思うのです。

 

自らの汚れを知ることから始まり、その汚れを超えていくことが、より良い世界を創ってくということ。

そのことを、またしっかりと心に染み込ませるのが、このお祭りです。

みんなで楽しく歌い踊り、嬉し楽しの世を創るこのお祭りが、もっともっと広がっていきますように。

 

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祭の中で、舞や笛・太鼓に合わせて「歌ぐら」という歌を唄います。

以下は、今年出来た新しい歌ぐらです。

 

一、    天教の 山をいただく 富士の地に

                                  現れ出たる 桃源郷

一、    天教の 山におわすは 天地(あめつち)

                                  双璧をなす (おお)御親(みおや)

一、    この道を たゆまず歩む その先に

                                  前人未到の 世が待ちにけり

一、    どこまでも いただく心で 歩みゆく

                                  みろくに続く 黄金の道

一、    闇の世に 泥よりいずる 蓮の花

                                  咲き乱れるは 桃源郷

一、    人知捨て ただただ心 まっさらに

                                 神の御元へ 参らせ給え

一、    休みなく 働くいのちの 姿見て

                                 うれしうれしと 神が喜ぶ

一、    この道は 神のいただき 目指す道

                                 いただく心で 頂は増す

一、    神の気の いずるは深き 鬼の里

                                 鬼門開きて みろく始まる

一、    鬼門()き 金色(こんじき)の光 あふれ出る

                                 鬼役終えて 金神現る

 

 

 

 

夢の中でお釈迦様に「お前の肉の目は見えるかもしれないが、心の眼は盲目であった。」と言われましたが、もう一つ「お前の肉の耳は聞こえるかもしれないが、本当の声を聴いてはいない。」と言われたことがありました。

 

つい先日、私が話をしていて、相手の人とうまく話がかみ合わないことがありました。

私のこうして欲しいという気持ちが強すぎて、相手の言葉が入ってこず、ちぐはぐな会話をしてしまいました。

音として相手の言葉が聞こえていても、自分の願望が強いがために、まったく相手の気持ちが分かっていなかったのです。

 

目で見て、耳で情報を聞いて、物事を判断していますが、その見たり聞いたりすること自体に自分の「色眼鏡」をかけているから、本当のことが観えてこない。

 

そして、相手の意志がノーだと分かった時も、

相手はそういう心を持っていたのだから、こういう風にしてあげよう、相手を理解してあげよう、ではなく、相手にああ言われたから、では自分はどうしよう、という発想なのです。

全部自分中心の発想・・・。

 

心が通じない人とは、まさにこの私のような人のこと。

 

 

私たち木の花ファミリーは、この混迷の世の中に「桃源郷」を創ろうとしています。

「桃源郷」といっても私たちにだって見たことのない世界です。

桃源郷では、きっと人と人だけでなく、作物や木々・・・「すべてのものと通じ合う世界」であると思うのです。

 

ダメだったなと、落ち込んでなんかいられません。

そんな私なのだから、どこでだってその対象のことが観えていないということ。

自分の体とも、この世界とも通じていなかった結果、私は癌をもらったのです。

 

その対象が、人であれ、物であれ、少しでも通じ合うものとなる。

そのためには、まず自分中心の発想を超えること。

いつも白紙でいられるようにすることだと、今思っています。

 

目的は、自分の願望を叶えることではなく、

本当に通じ合う世界を創ること。

 

江戸時代に米騒動というものが起きたと、中学校の歴史の授業で習いました。

米が凶作で、米の価格が高騰し、騒動が起きた。

 

 

入院中、いろいろな夢を見ましたが、そのひとつが米騒動の夢でした。

私は、着物を着て髪を結ったおかみでした。

時代は多分、江戸時代。場所は港町。米俵が山積みになっていました。

誰かが私にそっと耳打ちするのです。

「米の価格が高騰するそうだ。騒動が起きるぞ。」

私は家の者に言って、米俵を二俵、家の蔵にそっと運ばせるのです。

それから、港にいる人だかりに向かって、

「米の価格が高騰するそうですよ。騒動が起きますよ!」と言うや、米の奪い合いが起こり、そこで夢が終わりました。

 

目が覚めた時、夢の中でその騒動の中にいたせいか、ドキドキしていました。

まだ、私の中に我先の心があるのだと、教えてくれた夢でした。

 

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1月17日のニュースで世界の資産についての報道がありました。

 

国際非政府組織(NGO)オックスファムは16日、世界で最も裕福な8人と、世界人口のうち経済的に恵まれていない半分に当たる36億7500万人の資産額がほぼ同じだとする報告書を発表しました。

 

2016年には世界の富裕層トップ62人が世界の最貧層の36億人と同じ資産を持っているというデータが、今や富裕層トップ8人(そのうちアメリカ人が6人)が下位50%と同額の資産を持っているというニュースです。

 

トップ10の大企業の収益の合計は、下位180の貧しい国々の収益以上だともいいます。

 

8人の資産が計4260億ドル(約48兆7千億円)ということなので、

トップ8人は平均して6兆円持っていることになります。

 

 

この数字を聞いて、びっくりというか、何とも言えない気持ちになります。

 

世界の飢餓について調べてみました。

「いま、世界の飢餓人口は7億9500万人。9人に1人が飢餓に苦しんでいます。 これは食べ物が足りないからではありません。なぜなら、毎年世界では、約25億トン(※1)の穀物が生産されていて、もしこれが世界に住む73億人に平等に分配されていれば、1人当たり年間340キログラム以上食べられることになります。日本人が実際に食べている穀物は、年間159キログラム(※2)。世界では穀物に加えて野菜などが生産されていますし、在庫があることを考えれば、すべての人たちが十分に食べられるだけの食べ物は生産されています。」

※1 国連食糧農業機関(FAO)(2015‐2016概算値/2016年)
※2 厚生労働省「国民健康・栄養調査(2013年)

 

少数の富める人たちがいる一方、多数の十分に食べられない人たちがいる。

その原因は一口には言えないと思うのですが、グローバル化、お金第一のこの世界が生み出したものとも言えるでしょう。

 

お金がなければ生きていけない、お金さえあれば幸せになれる、という考えは根強くあり、実際この世の中では、お金がないと生きられないシステムになってしまっています。

 

誰もが豊かに暮らせるよう日々働いているのに、そうすればするほど、この世界の格差はますます広がっていくという矛盾の中に私たちはいるのです。

 

大企業や富裕層が悪なのでしょうか。

お金というものに縛られているという意味では、同じ価値観の中にいて、

その呪縛から離れないと、結局自らが矛盾を作り出していることになってしまう・・・。

 

いろいろ考えると複雑すぎて分からなくなってしまいそうですが、

シンプルに考えると、「みんなで分け合えば十分足りる」ということです。

 

そのことに対するひとつの答えとして、木の花ファミリーの生活があります。

みんなでお財布ひとつ。

働くのはお金のためではなく、

「ハタラク」つまり「傍」を「楽」にするため。

 

これが答えとは限りません。

世の中はこれからも変化していくし、私たちも変化していきます。

でも、ここ木の花ファミリーには、確かにお金の呪縛から離れた世界があることは確かです。

 

そんな中で暮らしていても、それで良いという訳ではないと思っています。

冒頭に書いたように、自分の内にまだ「我先」の心があることをしっかりと見つめていく。

そうしたら、きっと本当の桃源郷が現れるでしょう。

 

そんな木の花ファミリーの生活や経済について学んでみたい方に、一カ月の真学校@木の花ファミリーをお薦めします。「目から鱗」の体験になるはずです!