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癌さんありがとう。きょうこの「いただきます」ブログ

富士山の麓で暮らす血縁を超えた大家族、木の花ファミリー。互いに助け合い、生かしあう、愛がいっぱいのコミュニティ。
そんな中で、癌をいただきながら、日々の想いを発信していきます。

私の部屋には、壁に千羽鶴が掛っています。

 

入院していた時、ファミリーの子供を中心として、みんなが作ってくれたものです。

中学生のかのちゃんが、みんなに呼び掛けて、保育園児から高齢のメンバーまでみんなで作ったので、たったの二日で千羽以上折ってしまったそうです。

病室の天井から釣り下がっている、その千羽鶴は、まるで虹色の光の柱のようでした。

 

 

かのちゃんが千羽鶴を持ってきてくれたその日は、放射線治療をするための検査がある日で、数日前に大出血し、その後38~39度の熱が続いていました。けれど、夕方、かのちゃんが千羽鶴を持ってきてくれたころから、急に熱が下がり、無事検査を終えられました。自分でも今日は検査は無理かと思っていたのに、不思議な体験でした。

 

木の花ファミリーは、血縁を超えた大家族で、現在84人で一緒に暮らしています。

私が産んだ子供は二人います。私がこのような状態になり、夫も24時間つききりで看病してくれていましたから、普通だったら子供の世話のことなど心配することがたくさんあるのでしょうが、こうした大家族で暮らしているので、何の心配もしなくていいのです。

今回の入院に限らず、普段でも産みの親は、自分の子供の世話はする必要がないのです。

 

みんながお母さんであり、お父さんであり、おばあちゃんであり、おじいちゃんであり、子供はみんな自分の子供であり、子供同士も皆兄弟姉妹のような大家族。

かのちゃんも私の産んだ子供ではありませんが、こうして心を掛けてくれるのです。

 

病院の先生が「ご家族を呼んでください」となると、病室に入りきれないくらいで、看護師さんたちも検温に来るとき、圧倒されていました。

そして、意識が遠のきかけた私も、みんなに囲まれて、しんどかったのがだんだんと楽になってくるのです。そして、命が危ないということで家族が呼ばれたのですが、最後には病室に笑いがおこり、みんなまた会おうねと、笑って別れるのです。

 

こんなに素敵な家族に出会えて、本当に私は幸せです。

しかも、血縁じゃない家族。

今の社会にどこか疑問を持ち、これからの新しい生き方を求めて集まってきた人たち。

共に理想郷を創っていこうとしている「魂の縁」の家族なのです。

大切な大切な家族。

 

そんなみんなの想いが、私をこの世界に引き戻してくれたのだと思っています。

入院中、眠っているとき、いろいろな夢を見ました。その中のひとつは、私のちょうど癌のあるお腹に、光の柱が天から降りてくるのです。それは、みんなが作ってくれた千羽鶴のような感じなのです。

 

「想い」の持つ力。

呪術のように人を呪い殺すこともできるし、逆に人を救うことも出来る。

みんなが心を一つにして想いを向ければ、きっとよい世界を作ることだってできるはずなのです。

 

そして、私たちは、この木の花ファミリーだけが家族だとは思っていません。世界中の人たちみんなが家族なのです。

 

国と国が争い、一つの国の中でも対立があり、人を救うはずの宗教間でも争いが絶えません。

政治的対立もあるし、職場や学校でもいじめや嫌がらせがあります。家族という小さな単位でも、たった二人の夫婦の間でさえも争いがある。

 

地球は一つなのに、全部つながっているのに、至る所に国境が引かれ、分断されています。

でも、それを自分にまで視点をもってくると、自分には境がないだろうか・・・。

自我が強いばかりに、自分を守ったり、正直が出せなかったり、相手の気持ちが分からなかったり・・・。硬いガードをしていた自分。癌をもらって当然なのです。

 

癌をいただいて、死にそうなところまで行って、何一つ自分で出来ない状況をもらって、周りにいっぱい愛が溢れていることにやっと気が付いたのです。

人に頼るよりも、何でも自分でやろうする人間でした。それがいいのだ、と思っていたくらいだったのです。

今までの自分を振り返ると、本当に硬い殻に閉じこもっていたなと思います。

委ねる、任せる、信頼する、自分を手放す・・・そんなことを学びました。

 

 

木の花ファミリーの創設者である、いさどんはいつもこう言います。

「僕は自分のことを考えることはない。いつもみんなのことばかり考えている。

自分のことなんて考える必要がない。だって、みんなが僕のことを考えてくれるから。」

 

みんながみんなを想い合う世界。

あなたはわたし。わたしはあなた。

 

そんな風になったら、この世界は、もっともっと良くなるはずです。

そのためには、まず自分自身がもっている壁をとっていくことだと思っています。

 

 

12月31日に発信された、木の花ファミリーのいさどんブログ『ヒトイズム』に以下のような一節があります。

 

* * * * * * * *

例えば、医者が病気について「今病気はこのように進んでいて、それをこういう風にすればこうなって良くなりますよ」と言うのは、科学的分析の結果の話であり、人間が理屈で理解して納得できる世界だろう。しかし、この世界は人間の理屈を超えたところで成り立っている。だから科学や理屈で考えて納得できるところを超えた時に、奇跡が起きるんだよ。

 

宇宙は奇跡の連続だ。なぜなら、もともと人間の思考のキャパを超えたところで成り立っているのだから。だから宇宙を生きるという意識レベルを考えるのならば、科学や理屈を超えたところでものごとを受け取る器を持つことが必要だ。そうでなければ、真実は観えてこない。
それには、人間壊しをすることだ。人間を壊して、ヒトとして存在する。それがヒトイズムだ。

 

* * * * * * * *

 

私は、子宮頚癌による大量出血で命が危なかったのですが、ある意味「奇跡」が起きて、生をいただいています。

お医者さんは「ここまで来れるとは思わなかった」と言っていました。

ここにも書かれているように、この世界は人間の理屈を超えたところで成り立っている。

命も人間の理屈を超えたところで成り立っている、ということを体験させてもらいました。

 

調べてみたら、人間の命が生まれてくる確立を計算したものがありました。

男性の一回の射精で1~4億の精子が含まれているといいます。

その中のたった一つだけが卵子に到達できます。

女性の排卵は一カ月に一回。一生で400個前後の卵子しか作らないそうです。

その確率を計算すると、なんと1400兆分の1だそうです。

 

地球の歴史を見ても、何度も大量絶滅が起きています。

私たちは、そこを生き抜いた子孫であることを考えると、さらにものすごい確率で私たちは存在しているのです。

さらに遡ると、宇宙の始まりから、一度も切れることなく命が繋がっているからこそ、今の私たちがいる。

その奇跡の連続が今。

 

だから、なにか特別なことが起きることが奇跡と思いがちだけれど、

こうして存在していること自体が奇跡なのです。

 

私は、現代医療によって救われましたが、でもお医者さんでもダメかと思ったところから、今があるのは、人智を超えたものとしか思えません。

生きたいとか、死にたいとか、思惑を手放せたとき、奇跡が起こった。

というか、お医者さんからは「もうこれ以上やれることはない」と言われ、自分ではどうにもすることが出来ない、いただくしかない状態でした。

 

この命も、地球も、宇宙も全部奇跡の連続で出来ている。

すごい世界に私たちはいるのです。

 

 

「生かされている」と言葉でしか分かっていなかったなと、今思います。

私たちは「生かされている」としか言いようのない存在なのです。

でも、人は忘れやすいものです。

体がだんだんと回復して元気になってくると、あの時の張り詰めた感覚が薄れてきたりします。

別にいつも張り詰めている必要はないと思うのですが、

あのとき学んだこと、

命は奇跡の連続であり、自分の手の中には何もないという、いつも立ち返れるものをいただきました。

 

以下、再びいさどんブログ『ヒトイズム』からの引用です。

 

* * * * * * * *

 

宇宙創成のプロセスは、「ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・ト」という数理で表すことができる。その始まりである「ヒ」から最終の「ト」までのプロセスを理解し、それらを統合して成り立つ存在が、ヒトだ。それが時代人(じだいびと)であり、時代主義(Eraism=エライズム)を生きる存在だよ。
英語には” humanism(ヒューマニズム)”という言葉があるでしょう。超自然的な存在よりも人間の理性や尊厳を重んじる人間中心主義のことで、その元になっているのはhuman(人間)だ。それに対して、人間が魂だけの状態になり、宇宙の始まりから終わりまでの仕組みをマスターした存在をヒトというのだから・・・・ヒトイズム!これはヒトイズムだよ!

 

* * * * * * * *

 

「人間」とはヒトに至るまでの間にあるもの、途上にあるもの。

だからこそ、人間を壊して、囚われを外して、ヒト目指していくのです。

その囚われを外すためにいただいたのが、私にとっては癌でした。

 

どこまで行っても「いただきます」。

頂き(頂上)を目指して登り続けます。

 

人間の受精卵です

明けましておめでとうございます。

今日から、新しい一年が始まります。

 

昨年は、私の人生で最大のことをいただきました。

私にとっても、新しい人生の始まりです。

 

地球が太陽の周りを一周して、一年。

お正月を一年の始めとして祝いますが、本当はいつでも新たなスタート。

次の瞬間だって、もうその次の瞬間だって、新たなスタート。

 

新年だからと言って、凛とした気持ちになるけれど、

いつも凛とした、新鮮な気持ちでその日を、その時を迎える。

 

そんな風に生きていきたいと思っています。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。