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癌さんありがとう。きょうこの「いただきます」ブログ

富士山の麓で暮らす血縁を超えた大家族、木の花ファミリー。互いに助け合い、生かしあう、愛がいっぱいのコミュニティ。
そんな中で、癌をいただきながら、日々の想いを発信していきます。

「悩み」とは何だろうと考えてみました。

なるべくなら、持ちたくないもの。あってほしくないもの。

 

な・や・み・・・・・

と文字を頭に思い浮かべてみました。

「な」とは、カタカムナでは「質的転換」を意味します。

「や」「み」つまり「闇」。

「闇」が「質的転換」をすること。

 

私は、癌という病をいただいています。

でも、癌のおかげで、いろいろな気付きがありました。

 

悩みや辛いこと、悲しいこと・・・

それらは、その人の心に相応しく与えられる。

けれど実は、そのことに向き合えば、救いなのだと思うのです。

 

それが「悩み」という言葉からも分かりました。

悩みとは「闇」が質的転換をして、「光」になるということなのです。

 

悩みや問題事があるからこそ、自らを振り返ることが出来る。

私のように傲慢な心の者は、何か与えられないと、本気で自らを振り返らないものだから、神様が病気を与えてくれました。

それは、闇から抜け出すための救いの手だったのです。

 

そうすると、全てが有り難い世界なのだと気付きました。

私たちは、すでに有り難い世界にいるのです。

 

 

この地球上には、この2016年を振り返っただけでも、たくさんの混乱が起きています。

紛争、内戦、難民問題、人身売買、いまだにある奴隷労働、そして気候変動・・・数えればきりがないくらいです。

時代は闇のピークを過ぎ、光へ向かっています。だからこそ、今まで見えなかった闇の部分もより見えるようになってきました。

事実を知るほど、心が痛みますが、これらのことは「闇」から「光」へと向かうための痛みなのだと信じます。

 

「闇」と向き合い、「光」へと向かう。

「光」を信じて、新しい年を迎えようと思っています。

 

 

「必死で生きろ」

よく使う表現です。

けれど、よく見ると、「生きろ」と言っているのに、「必ず死ぬ」という言葉と一緒に使われている。それに気がついたとき、面白いなと思いました。

 

私は、子宮頸癌です。10月の末に大量出血し、重篤な状態になりました。親や家族が呼ばれ、自分でも、もうダメかと覚悟をしました。

放射線の治療をし、今こうして生きているのですが、もう少しで死んでしまうかも知れないところを体験すると、この言葉が以前と違って、すごく納得できるのです。

 

「生きる」ということは、「死ぬ」ということ。

全てのものに与えられている死。宇宙の法則です。

 

昨年4月に癌だと分かりましたが、まだ私はしばらく生きているだろうと、それこそ

「必死」ではありませんでした。

私の癌は進行性で、最初2cmだったのが、1年半後には6cmまで大きくなり、それでも自然療法などでなんとかなるのではないかと、甘く見ていたのです。

 

今回、このような体験をし、「死ぬ」ということがとてもリアルに感じることができました。

今までぼんやりと、何の根拠もなく、また明日がある、という感覚でした。

 

今は違います。

確実にこの生は、カウントダウンされている。一刻一刻、一瞬一瞬・・・。

 

余命が宣告されたわけではないし、まだ治療は続けていくので、希望はもっています。

だけれど、本当には分かっていなかった。いつかは「必ず死ぬ」ということが。

 

私は癌だけれど、健康な人も、若い人も、いつ「死」がやって来るかは全く分からない。

そういう意味では、どの人も条件は同じなのかも知れません。

 

「死」を意識して「生きる」って、すごくいいなと思うのです。

期限がつかないと、火がつかない私だったのですが、

事実、いつまた出血があるか分からないのですから、いつあちらの世界にいってもいい覚悟はしているつもりです。

 

だから、体は思うようにまだ動かないけれど、今自分がやれることを精一杯やりたい。

どこからか、エネルギーが湧いてくるのです。

 

以前とは、景色が違って見えます。

いろいろな想いが湧いてくるのです。

言葉にできないものもあるけれど、

なるべく言葉にして、表現していきたい。

今、そんな風に思っています。

 

話を元に戻すと、

「必ず死ぬ」のだから、しっかり、悔いのないように「生きろ」ということです。

けれど、力を入れて一生懸命「必死」にならなくても、この世界の仕組みとして「必死(必ず死ぬ)」のだから、そのことを忘れず日々生きていくことなのだと思うのです。

 

改めて、日本語というものはよく出来ている言葉だと思いました。