自分のテニスを一番理解してくれていた、ダブルラインのストリンガー小杉さんが亡くなり、2ヶ月以上過ぎました。

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ダブルラインのストリンガーは小杉さんだけでした。

以下、小杉さんの開店当時の言葉です。
『テニスショップと呼ばれたくない、テニスのお店』
小 杉 邦 昭  ('95 10月オープン当初 記)
 1980年代空前の『テニスブーム』。街を歩けばラケットを抱え歩く姿がファッションのひとつでもあった時代です。その流行に乗り、多〈の「専門店」「プロショップ」と称する店が出現したのもこの頃です。
今思えば、物を売ることだけに奔走した、売り手市場のテニス流通産業がこの期間に形成されました。そうした、物販第一主義の「ショップ」が、今日に到っているわけですから、いまだに商品を売る為に、ラケツトの割引率を競ったり、ストリング(ガット)や張り代を無料で抱き合わせて販売したりと、それは「物販店」「量販店」「ディスカウントショップ」の域に入ってしまうショップが多くなってしまいました。

 日本のテニス愛好者は、ストリングやストリングの張りについての意識が、足りないと言われています。
それは、ストリングやストリングを張る作業がラケットを売る為の抱き合わせの「オマケ」みたいなもの
といった販売方法をとっている『ショップ』のあり方そのものが、歪みを生んでしまったからです。物を安く購入できること自体は、プレーヤーの利益になることです。しかし、本来一番プレーlこ影響するストリングの選択・テンション設定等、コミュニケーションが特に必要な部分が、抱き合わせの「オマケ」になつてしまっているのが、現状のようです。私にとって、現状のショップは、プレーヤーとして、物を得る為の利益はあっても、肝心な快適なプレーをする為の利益は満たしてくれない場でした。
そんな私自身の既存「テニスショップ」への不満が、『ダブルライン』誕生のきっかけとなりました。

そして、自分の理想とするプレーヤーへのサービスとは、
    ①快適にプレーしてもらうこと ② 上手になってもらうこと
その①②を
プレーヤーと共に作り上げていく、コミュニティーが『ダブルライン』だと思っています。



お弟子さんもとらず、ずっと小杉さんが1人で張り続けてきました。

小杉さんが亡くなり、ダブルラインもなくなってしまうと思っていました。

しかし、小杉さんが最後の最後でとったお弟子さん、蜂須賀さんが今、ストリンガーとしてダブルラインを継続してくれています。

今、思えばこれは本当に誰も解明することができない、何か特別な大きな力がそうさせたことだと思います。

蜂須賀さんのすごさは、データ上ではありますが、小杉さんが張っていた当時のデータを再現してくれていることです。

小杉さんが亡くならなければ、ずっと小杉さんに張り続けてもらっていたことは間違いないのですが、小杉さんが亡くなった今でも、小杉さんが張ってくれていたレベルに限りなく近い状態で張り上げてくれている蜂須賀さんは本当にすご過ぎます。

自分はこれまからもずっとダブルラインで張り続けます。

自分のラケットを張ってくれるストリンガーは、蜂須賀さんになりました。

蜂須賀さんがいなければ、小杉さんが蜂須賀さんをお弟子さんとして認めなければ、ダブルラインは継続できっませんでした。

ダブルラインは途切れることなく、継続されました。

これからもよろしくお願いします。