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今から3年前、私はテニスとは別に本職の顧問の先生でした。この文章は当時のキャプテンが本校の記念誌に掲載するために書いたものです。なお一部文章を変更させてもらっています。

私は高校に入ってからバレーボール部に入りました。練習は、他校と比べた訳ではありませんが、基礎的な練習が大半を占めていました。未経験者も多く、身体能力の飛び抜けた選手もいない筑波大附属駒場が、私たちの代で関東大会に出場することができたのは顧問の先生がその基礎を熱心に教えてくださったおかげだと思っています。またメンタル面や私生活の指導もとてもよくして頂きました。スポーツ経験が浅く、世間知らずな私たちは今なおその教えから、大きな影響を受けており、様々な場面で役に立っていると思っています。私の個人的な話をさせて頂くと、現在、大学のアメリカンフットボール部で主将をやらせて頂けるのも、このバレーボール部で多くの事を教えていただいた経験によるところがとても大きいと思っています。また、私の心にしっかりと刻み込まれた、バレーボール部のスローガンでもある『本気』という言葉からは、今なお学ぶものが多くあり、よく自問する言葉の一つであります。

本気
本気ですれば 大抵のことができる
本気ですれば 何でもおもしろい
本気でしていると 誰かが助けてくれる
 
では、当時を振り返ることにします。私が入部した時は、先輩はいましたけれど、1学年下も2学年下もバレーボール部はいませんでした。しかし、先生が授業などで積極的に働きかけてくださったおかげで、私が2年になる頃には、下級生が入部してきてくれて、私も先輩になることができ、そして、下級生も合わせれば1チーム組めるほど部員が増えました。人数が増えることで一人一人の負担は減り、また、練習にも活気が出るようになり、選手層も厚くなり、そして、普段の練習でも試合形式ができるようになりました。そうすることで、チーム力が格段に上昇しました。今思えば私たちの代のスタメンは私たちの代だけで構成されていましたが、東京都で新人戦からベスト8になり、春の高校選抜大会予選でもベスト8、そして関東大会予選でもベスト8になり、念願の関東大会に出場することができたのは、この後輩たちが本当にがんばってくれたからだと思います。また他校と練習試合を数多くこなし、他校の良いと思ったことは、積極的にどんどん自分たちの練習にも取り入れていきました。私達が2年の新人戦以降の練習試合は、東京と以外他県の強豪校と先生のおかげで、数多く試合をすることができました。全国大会常連校にも何度も胸を借りることができましたし、大学生や社会人のチームとも試合ができたことは、当時の私達にとってはこの上ない素晴らしい経験になりました。そして、その経験から自分たちのバレーボールのレベルも飛躍的にアップさせることができました。
 さらにもう一人の顧問の先生は、私達の知らない、例えば会計面など全てを処理してくださり、裏方としてバレーボール部をしっかり支えてくださいました。また時には、ベンチに入り監督として違った視点からも私達を励まし勇気づけてくださり、公式戦でも多くの勝利に導いてくださいました。そして忘れてはならないのが外部からお招きした、コーチの存在です。コーチは先生よりも学生に近い立場で、時には厳しく、時には優しくご指導してくださいました。ほとんど全ての練習に参加しコーチングしてくださり、どんなに遠くで行なう練習試合にも必ず一緒に来てくださいました。
私は、大学進学後はバレーボールをやめてアメリカンフットボールをしていますが、私の同期の多くは進学後もバレーボールを続けています。分野は違いますが、高校でのバレーボールの経験が私たち部員一同にとってかけがえのない経験となり、財産となっていることを、この場をお借りて今までバレーを教えてくださった方々に感謝の意を表明したいと思います。