優等生気質・男性に頼れない
真面目系女子の私(haru)が
本気婚活をして30歳で入籍。

リボン その婚活物語
リボン 結婚後ありありストーリーを 
まじかるクラウン夫は年下理系男子
こじらせ妻×察せない夫
試行錯誤して心地よいパートナーシップ
愛し愛される関係性を追求ピンク薔薇

 その歩みを綴っています

 

 

 

何者かになりたくて

仕方がなかった20代

 

 

 

私たちって

小さい頃から

 

「何者か」になることを

ずっと求められた

 

ような気がする。

 

 

例えば、

 

大きくなったら何になるの?

将来の夢は?

 

 

というのは

幾度となく聞かれたし

 

私自身も、大人になって

姪によく聞いていた。

 

 

幼稚園の時は

 

「ケーキ屋さん!」

「お花屋さん」

 

 

甘くておいしいもの

キレイなもの

 

そうしたものが

好みだったのかな、私。

 

 

小学生になったら

少し現実的になり

 

 

「看護婦さん」とか

「学校の先生」とか

 

社会派な職業へと変化していた。

 

 

でも、これって必ず

「職業」で答えることが

当たり前で

 

何かしらの働き方を求められたのだと思う。

 

 

これが悪いということを

言いたいのではなく

 

 

そうした流れや習慣が

日本の社会にはあるし

 

 

私もその世界で過ごしてきた。

 

 

社会で生きること

働くことは

 

「何者か」になることが

必須だと思ってきたんだよね。

 

 

 

 
 

 

就活の時に

すごく思い出に残っている

面接官の方がいらして

 

雑談交えた面接の時に

 

「存在意義」

 

について熱く語ってくれた。

 

 

社会にとって

組織にとって

 

その所属している場での

 

自分自身の存在意義や価値を

高める働き方や生き方を

 

とにかく大事にしてきた

 

 

と。

 

 

私自身、そこまで

自分の存在意義について

 

考えたことがなかったから

 

もう十何年もたっているのに

すごく印象に残っている。

 

 

学生時代は、

ある意味、温室であり、

守られていた。

 

 

 

社会で働くこと

お金をいただくということは

 

 

「自分自身が何ができるか」

「どんな価値を提供できるか」という

「貢献」がベースだし

 

周囲から求められる人

 

存在価値を高める工夫をしなければ、

いけないんだなって強く感じた。

 

 

 

社会で働くということは

本当に大変で

 

「辞めたい」

 

「つらい」

 

「しんどい」ことの連続だった。

 

 

存在価値を高める

どころではなく

 

いかに1週間乗り切るか

今日、この日を無事に

終えられるかで、必死だった。

 

 

社会のうねりに

飲み込まれる毎日。

 

 

だから、飲み込まれまいと

本当に必死だったから

 

とにかく「何者か」に

ならなければ

 

生き残れない

 

そんな価値観を強めた、私。

 

 

職業とか社会的な立場、

社会に貢献できる私であることが

 

 

私の存在証明のようになった。

 

 

これはこれとして

すごく大事なことで

お役目だけど

 

 

なんとなく

窮屈で息苦しかった。

 

 

 

 
 

 

夫の転勤で

専業主婦の道を選んだ私

 

望んでなったものの

 

これで本当にいいのか

 

社会とのつながりが

なくなってしまった閉塞感

 

なかなかうまくいかない妊活

 

 

諸々の気持ちが

入り混じり、

 

これじゃない感を感じていた。

 

 

家庭しか

私の存在価値・意義がない

 

自分に対して

やるせない気持ちになっていたのだ。

 

 

そんなことを

夫に伝えたら

 

 

「専業主婦でもいいし

 何か新しく始めてもいいし

 働いてもいい」

 

 

「僕の望みは、

 haruちゃんが、haruちゃんらしく

 いてくれたら、それでいいよ^^」

 

 

と言ってくれた。

 

 

 

その言葉を聞いて

私は、涙が出た。

 

 

なんかすごく嬉しかったし

 

 

肩の力が、

すーっと抜けた。

 

 

 

何者かにならなければ

ならない感で

 

必死に生きてきたけど

 

 

そっか、その必要は

彼の前では、なくていいんだ

 

自然体であることが

彼も嬉しいことなんだって

 

 

そういうことを

あえて口に出して伝えてくれた

ことによって

 

 

 

わたしのままでいい

何者でもない私がわたしを生きよう

 

 

そんなことをじんわりと

思えたよ。

 

 

 

 

そんなことを思えた私だけど

社会でバリバリ働くことへの

憧れも捨てきれない私もいたから

 

今のように

「私を生きること」

 

「ありのままの私」で生きるまでには

もう少し時間がかかったよあせる

 

 

 

 

 

 

 

 

今の社会で生きる過程で

身に着けざるおえなかった

 

価値観や生き方って

誰しもあると思うし

 

あって当然。

 

 

そして、会社での顔

友達の前での自分

両親に見せる顔

 

いくつもの顔があっていい。

 

 

なかには過去の私のように

何枚もの鎧を着て

 

自分を守る時があったていい。

 

 

こうあるべき

こうならなきゃ

 

という気負いがあってもいい。

 

 

でも、愛する人の前では

私という存在

 

互いに何者でもない自分たちで

いられる関係性を築いていられると

 

すごく楽だし、癒される。

 

 

 

それは、女性だけではなくて

男性だって

 

 

日々歯を食いしばって生きる

戦士になる時もある。

 

 

自分よりも

組織を優先して動かないと

いけない時だってある。

 

 

むしろ男性のほうが

何者かであることを

求められることが多い。

 

 

社会で生きる

組織で生きるということは

 

ある種、抗えないものなのかもしれない。

 

 

だからこそ

 

恋愛や結婚生活に

求めるものって

 

 

「安らぎ」「安心感」

 

 

自分が自分らしく

いられる場

 

パートナーの前では

飾らない自分でいられる

 

 

そんな心地よさを

 

 

 

男女問わず

求めているものなんだって

心から思う!

 

 

 

 

 

そうした深いところで

つながり合えるパートナーシップを

育めることは、幸せだドキドキ

 

 

 

互いを認め合える関係性

 

何者にもならずに

一人の人としていたわり合えること

 

 

これが、土台にあると

どんな困難も乗り越えていける

 

 

 

そんな人と出会おう。

 

 

そうした関係性を育んでいこう。

 

 

あなたがそれを強く望み

そうあると決めるなら

 

その願望は、実現できる赤薔薇

 

 

 

 

 

 

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