クラシックとの出会いは厳密に言えば私が幼い頃に母が持っていたバッハ:ブランデンブルグ協奏曲第5番のSP盤のレコードを聴いたのが初めてだったと思う。

だから5番の出だしのところだけは小学生の頃に既に知ってはいた。
知ってはいたが特別な興味を持ったわけでもないので、それが果たして出会いと言えるかどうか・・・

クラシック音楽を自分から進んで聴くようになったのは、ずっと後のことで、17か18の頃だったと思う。
そのきっかけも、音楽会に出かけたとかそういうことではなくて、五木寛之の小説「戒厳令の夜」を読んで夢中になり、そこに出てくる4人のパブロ(パブロ・ピカソ、パブロ・ネルーダ、パブロ・カザルス、パブロ・ロペス)とはどういう人物なのだろう、特に音楽家のパブロ・カザルスの曲を是非聴いてみたい、と言う興味からレコードを買って来たのが一番最初だった。

小品集だったと思うが、小説にも出てくる「鳥の歌」を聴いた瞬間、もう引き込まれてしまった。
あのレコードは何回聴いたことだろう。

「鳥の歌」はスペインのカタロニア地方の民謡を元にしたもので、所謂クラシックの有名な作曲家によるものではない。
ただ、カザルスの演奏が大好きになり、次第にバッハの無伴奏チェロソナタやエルガーのチェロ協奏曲などを聴くようになって行った。
クラシック音楽への興味はカザルスから広がって行った、だから私のクラシックとの出会いと言えば、やはりカザルスの「鳥の歌」なのだと思う。

実感とはひょんな時にやってくる。

昔、箱根のハイランドホテルの喫茶室で外の景色を眺めながらコーヒーを飲んでいたら、突然「こんな幸せな瞬間を今までに感じたことがあっただろうか」と思うくらいの幸福感を感じたことがあった。
その後、度々ハイランドホテルに行ったが、ついぞその時に感じた幸福感の再来はなかった。

似たようなことは他にもある。
20歳の頃に奈良の知り合いの案内で法隆寺の百済観音を見たとき、しばしその場から動けないほどの感動を覚えた。
2年ほど前に再び法隆寺を訪れ百済観音を見た時は「この菩薩像じゃない」と一旦はその場を通り過ぎてから再び「やっぱりこれだったかなあ」と思う始末であった。
金堂が再建され、新しくなった明るい堂内に安置されていたと言う視覚的な違いも大きかったのだと思うが、この実感のギャップには驚いた。

いずれも想定していなかった感覚が突然やってきた時に、その記憶は鮮明に残っているのだということは共通している。

お恥ずかしい話だが、家庭での幸せなんていうのもひょんな時に感じるもので、家族旅行に行っただの、音楽を聴きに言っただのと言う特別な時間に感じるのかと思いきや、家内がテレビのおバカな番組を見て笑っている顔を見て幸せを感じたりしている。

だから、日常にない特別な瞬間にだけ幸福感を覚えたり感動したりするわけでもないのだ。
まさに、「ひょんな時」に感じるのだ。

ハイランドホテルも百済観音もおバカな番組を見て笑う家内も、そこに100パーセント私に実感を与えてくれる何かがあるわけではなくて、半分或いはそれ以上の割合で私の中にある何かが作用しているのだと思う。

最近は「癒し」と言う言葉をあちこちで聞くようになったが、「癒される」と言う実感は外にそれを想定した瞬間にその効用は半減してしまうのではないだろうか。
音楽もふとした瞬間に心を揺さぶられ、或いは和らぐのだが、記憶に残る音楽は必ず私の中で想定していない何かを感じた音楽だけだった。
「癒しのミュージック」と謳っているCDなどを見るとゾッとしてしまうのだが、それがどんなに良い音楽だったとしても「癒し」を想定することによって、本来のその音楽の持つ魅力が半減したり、思い込みの中だけで満足した気になってしまうのではないか、「癒しの〇〇」というタイトルを見ると、ついそのように思ってしまう。

目に見える形として外に想定しないと安心できない現代の世相を反映しているのかも知れないが、そのためにかえって実感すると言う感覚が薄れてきているように思えてならない。

実感はひょんな時にやってくる、確約されているものでもなければ保証もない、ただ感じられる機会は少なからず確実にあるのだが、外の目に見えるものにばかり心が奪われていると、ひょんな時にやってくる目に見えない感覚を見過ごしてしまうのではないだろうか。
秋の夜長に聴きたい曲。

ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」なんかいいですねえ。
おやすみなさいの曲にはちょっとアップテンポですが、ビル・エヴァンスのピアノは秋にあう。


それから、ジョー・パスのギターもいいですねえ。
「枯葉」とか「All The Things You Are」


あと、ポール・デズモンドのサックスも秋って感じ。


同じ曲でもアーティストによってアレンジや奏でる音が全く違うので、「枯葉」一曲でもきっと何十通りの演奏が聴けるんだと思います。
今日紹介したアーティスト達も「枯葉」はレパートリーとして演奏しています。
まあ、秋と言えば「枯葉」、最後はナット・キング・コールの歌で締めとしましょうか。