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ときどきマルオ

猫という家族が1人少なくなった家の中、15年ずっと足元に感じていた動く気配はなく、シーンとした部屋。

今までの習慣でつい、部屋の扉は完全に締めきらないようにしたり(猫が出入りできなくなるので)、食後の食器は速攻で洗ったり(猫が舐めてしまわないように)、餌や水が減ってないか目線を落としたり、猫トイレの前に行けば条件反射のようにスコップを持とうとしてしまったり(砂のチェックをするために)、たまに家の前の道路をハイヒールを履いた人が歩くと慌てて飛び起きたり(あのコツコツという音、マルオが吐きそうになってえづいている時のゲホゲホという音にそっくりなのだ)、階段を登った角にある壁から半分くらい顔を出して(この絶妙な身の隠し方よ)帰宅を待ってくれているような気がしたり、極めつけはやっぱり首輪の鈴の音で、似た音がちょっとでもチリンと聞こえると、「あ、マルチン」とその音がした場所にマルオの姿が浮かんでしまう。

昨日はマルオの七七日(四十九日)でした。さて、マルチン、これからだね。

日が経つにつれ薄れてゆくものもある。部屋の扉は締め切ることもできるようになった。トイレの砂には目がいかなくなってきた。こうやって世は遷ろいゆくんだな。

結婚と同時にマルオがやってきたので、妻と二人だけで暮らすのは初めてで、なんだか新鮮な距離感が生まれてしまっている。僕がツアーで家を空けた時、妻は一人暮らしを初体験中。でも、そんな妻も思ったより元気にやっております。前回の記事から間があいてしまってご心配おかけしてすみませんでした。

マルオが11歳で病気をしてからの4年間、毎日、死を覚悟して向き合ってきた。月に一度の検診も、毎朝晩の自宅での点滴も。命の尊さを感じないはずがない。こんなに小さい毛むくじゃらの物体が動いている、呼吸している、こっちを見ている、普段はクールなのにたまにゴロゴロと喉を鳴らし甘えてくる、ゴロニャゴロニャーと甘えた鳴き声を出す時だけ必ずくわえるカメラのストラップ、マルチンにとってそのストラップは何なん? 全てが神秘。マルチンが生きた証は全て、ひとつ残らずオレの胸の中にとどまるよ。


マルヤンに初めて会った日(1999年5月16日)

ペット、小動物を飼うということは、いずれくるであろう死を受け入れるということでもある。それは自分でも分かっていた。15年前マルオが我が家にやってきた時、自然に浮かんだメロディ「ペジエ」にも途中、妙に切なく遷ろいゆくパートがあるではないか(と自分で分析するもの初めてだけど)。マルオさん主演の最初の短編映画「cloudy wednesday」の曲もなんだか切ない(←これ是非、観て下さい。ラストシーンのカットがマルオを撮った初動画だったようです)。「オッタの祈り」という曲もしかり。「オッタ」は「居た」が訛った方言で、仕事から帰宅してマルオに出迎えられる度にいつも「マルチン オッタ!」「オッタ? マルチン」と声をかけていた。そんなことから付けたタイトルでありました。そんな風に自作曲をみるだけでも随分自分は生と死を意識していたはず。はず。なのに、やはり、マルオがいなくなった日は突然で、あまりに突然で、あまりにあっけなく、全く冷静に受け止めることができなかった。定期検診でマルオを病院に預ける時は必ず写真を撮っていたのだけど、あの日に限って写真を撮らなかった自分が憎たらしい。


マルチンの生前最後の写真(2014年8月7日)

そんなわけでマルオの最後の写真はなんだか小洒落た朝食メインの写真になってしまったよ。ごめんねマルチン、センターじゃなくて。

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Eテレ「0655」で「きょうの選択」という新曲が9月からオンエアされています。これからも何かを選択したり、しなかったりしながら自分も進んでいかなくちゃ。「重箱の隅つつくの助」の弟による「気にしないの助音頭」も絶賛オンエア中。歌っているのは近代史ケンジさんです。「2355」では「小石川植物園に行ってみました その2」も放送されました。こちらは近藤研二さんが歌ってます。

それから一昨日、雑誌「Player」の取材を受け、自分のプレイヤー遍歴をたっぷり語ると共に、楽器コレクション(竿モノのみ)を全て撮影してもらいました。

おかげで撮影スタジオがご覧の有り様。

綺麗に撮ってもらったので、これを機に何本かは手放そうかと思案中。何かを捨て自分の中にスペースを作らないと新しいものが入ってこない。ひとつの真理だと思っている。もちろん継続は力というのも分かっている。ただ自分はこれまでもいろんなものを辞めたり手放しながら新しい世界に行き、新しいものを吸収させてもらってきたのだと思う。

今またその時が来ているようなのです。