2024.3.29〜4.2の京都たび、2日目。



まず向かったのは明治から昭和初期にかけて活躍した京都の日本画家、木島櫻谷(このしまおうこく)の旧住宅へ。



アタシがこの画家のことを知ったのは、ほんの5〜6年前のことで、京都の美術展で作品を見てから「いいなぁ〜ラブラブ」と。


櫻谷のかつての住まいには洋館部分があると知って(モダン建築好きハート)行ってみたいと思っていたものの普段非公開で、特別公開期間中も土日しか会館してないので、基本平日に旅行することにしてる身としてはなかなか見られるチャンスがなく、この度やっと!



和館・洋館・画室から成り、この和館から入ります。



家の中は当時のまま。


聞けば櫻谷の死後、しばらくは奥様が住まわれていたそうですが、奥様の死後は50年誰も住むことなくそのまんま手付かずで残されていたそうです。

50年間ずっと固定資産税を子孫の誰かが払ってたんだなぁ・・アセアセ

押し入れいっぱいの画材なども残されてます。



櫻谷は収集癖があったそうで、こんな雛人形などは良いのですが、



こんな細々したものもそれはそれはたくさん、たくさん展示されてました(↑これはほんーーの一部です。)

ウチのオットがなんでもかんでも集めて溜め込んで捨てられない人なので、アタシはこの展示を見てちょっと嫌悪感を覚えてしまいましたガーン

もちろん↑これらは今ではとても価値のあるものだろうとは思いますけどね・・(『のらくろ』の古ーい本とか高値つきそう。)



櫻谷は下戸で大の甘党だったらしく、虎屋の上得意様だったらしい。

通い箱が残ってます。



櫻谷が絵を描いたこの打掛は孫娘の婚礼衣装として誂えたそうですが、その花嫁姿を見ることなく櫻谷は亡くなったそうです。

櫻谷の没後孫娘はコレを着て嫁入りしたそうですが、その後衣装は行方不明になってたところ2014年に偶然見つかり、その後2021年やしゃご(ひ孫の子・孫の孫)が結婚式でこれを着たそうです。

ドラマチックじゃないのーキラキラ



昔ながらの日本家屋の佇まいっていいね、縁側があったり、沓脱石があったり。



洋館。



玄関。



左)玄関の取っ手、素敵なデザイン。

洋館といえども、(右)折り上げ天井、竹を埋め込んだ腰板などがある和洋折衷の建物です。



画室は和館・洋館からは離れたところにあって、こんなとこ通っていきます。

弓道場もテニスコートも、櫻谷邸すぐそばの洛星中学校・高校の施設。

そもそもは櫻谷邸の敷地だったそう(もっと言えばこの図にはないけど、駐車場の右側にはアパートがあって、そこもこの学校の生徒さん用の寮だそう)で、もともとそこは大きな池のあるお庭でした。

今はその土地全て学校に貸しているのだそうです。

その賃料がここの保存・運営に大いに役立ってるんだろうなー。



画室の前には大きな石がごろごろと打ち捨てられたように置かれてます。

ここにあった大きな池を潰し、さらにはテニスコートになり、その時に撤去した庭石の「墓場」となっているのです。

こちらの職員の方も「あの庭が残ってれば、ここももう少し風流だったでしょうに」と話しておられました。

当時の写真や8ミリフィルムにもお庭が写っていて、それを見ると「ほんとにもったいないことを・・」と思ってしまいますタラー



大画室。

大作を描くにはこれだけの広さが必要なんだろうなー。



広間の一角に電話室、時代を感じます。


館内では櫻谷の作品は数点見れるのみ(収蔵品の中から入れ替えで展示してるそう)、洋館も期待したほどではなくちょっと残念でしたが、まぁ、それも今回行ってみなけりゃわからなかったことですから照れ



洋館の側面を眺めながら次のスポットへ。


④へ続く。