所用で加古川へ車で向かう。
中国自動車道西宮名塩SAにてヒッチハイクの青年に出会う。東京の大学に通う学生さんらしい。
実家のある栃木の佐野から熊本の親戚の家まで向かう途中だと言う。とにかく三木SAまで行きたいらしい。
私の目的地は三木SAを過ぎて直ぐ高速を降りる加古川なので乗せてあげる事にした。
話を聞くと途中のサービスエリアで仮眠中に貴重品を入れたカバンを盗まれてしまいスマホもお金も何も無いと言う。
途中に乗せてもらった親切なドライバーさんに公衆電話用のテレホンカードをもらってカード、携帯を止め、目的地の熊本の親戚の方には連絡が着いているらしいが熊本までは自力で向かわねばならないらしい。
お腹は空いていないのか?と聞くと何も食べていないと言う。
三木SAで別れる時「これで何か食え」と気を使わないで済むくらいのお金を握らせ、「気をつけてな!頑張れ!」と車を出すと深々とお辞儀をして最後まで見送ってくれる姿がバックミラーに見える。
この青年にとって世の理不尽と人の情けを感じる貴重な旅になったことと思う。
いつか彼が受けた世の情けを誰かに返せる人になってくれればそれで良い。世の中は理不尽な事ばかりではなく、世も捨てたものでは無いと思ってくれればそれで良い。自分も情けをかけれる人になりたいと思ってくれればそれで良い。
その後、目的地に着いたが、世の理不尽に遭遇し、本来の目的は果たせなかった私。再チャレンジを期して帰阪の途につく。
一人ハンドルを握り教師の仕事に着いて考える。
教師の仕事などというものは、思いを込めて接した生徒達がいずれ、受けた世の情けを誰かに返せる人になってくれればそれで良い。
情けなどと言うものは本来の義務や時間やお金などの価値観を超えたところにフワッと存在し感じるもの。
生徒達に世も捨てたものでは無い、理不尽に振る舞うより、何かを与えられる人になりたいと思えるように、しっかり情をかけてあげる事だと再確認。
その意味で教師は世の中の代行者、代弁者で、一労働者としてサラリーを得るだけでなく、世を背負う事もできるやり甲斐のある仕事でそれが聖職者。
逆に世の理不尽や冷たさ示す代行者のような学校や教師であってしまう恐ろしさをどれほどの教師は感じているのか?
4月8日は大阪の高校では始業式、入学式。労働者としての処遇も大切だが、そんな教師像を大切にできる日本の教育界であって欲しいとつくづく思う。
追伸
本来の目的を果たせ無かったが得るものが多かった今日。帰りは神戸で気分転換。リフレッシュして次の仕事に向かいます。
本来の目的も世の代行業の一つです。詳しくはまたの機会に。
