何故学校の先生の言う事を聞くか?学校は大切か? | 世に棲む日々。(教育講演、研修、相談)

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おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなしものは心なりけり

多様な学校の多様な先生方の悩みを聞く。

指導の入らない生徒や保護者に四苦八苦。


逆に何故学校の先生の言うことを聞くか?

そんなことをふと考えさせられる。


なぜ?理由は簡単。


学校の先生は何の損得、忖度も無く、ただただ子ども達の行く末を思うとその子の為に言わずにはいられない、そんな気持ちが子ども達に伝わるから。


行き着くところ教師の純粋な聖職者としての思いが子ども達の心を動かしていく。ある意味愛情の押し売りができないようでは教師ではいられない。


親子の関係や、学生時代の親友の大切さもそんなところに起因する。損得、忖度無く付き合える仲間。


学校とはそんな先生がいるところ、そんな友達を作れる所。


社会に出るとこうはいかない。

己の立身出世、会社での評価、勝ち組負け組み、

と言った従来の損得に加え、こう言えばパワハラ、ああ言えばモラハラとつまらぬ忖度に四苦八苦。純粋に本音でぶつかりあえる気持ちがねじ曲がっていく。


損得、忖度無い学校や家庭の存在も今は昔か?!

学校や家庭の指導力の低下が叫ばれる理由は簡単。本来は損得、忖度無く言い合える親子や先生と生徒の関係に、無責任な社会の損得、忖度付きの物指を当てがうから。無責任で勝手な社会の監視の目に忖度するから。


簡単な例を挙げれば

誉める事も大切だが、叱ってはダメだと勝手な社会の流行りの物指を当てがうから。


マスコミは一部の行き過ぎたレアーな例を一般化し、それに扇動されたTVの前の大衆の顔色を伺う政治家や行政官が評論家が責任逃れと選挙対策の人気とりに間違った空気感を強要してくる。これこそが正しく社会の損得と忖度。


親子も師弟もマスコミに露出するノウハウや物指に振り回される。振り回されるだけでは無く監視され、監視の目に忖度する。


一般的な本来の家庭や師弟で長いスパンで解決できる問題にレアーな例の抑止を目的としたノウハウやマニュアルを物指として無理矢理押し付けられる。


あるべき社会的に必要な幅のある人間関係が(ブレーキやハンドルに必要な遊びの部分)レアーなイレギュラーな例の抑止の為に硬直し歪んでいく。


責任追及に躍起になるマスコミが垂れ流す土下座風景を見て優越感に浸る大衆。マスコミ界に生きる人間の価値観の独壇場を作り上げる。


目立つレアーな例の被害者も勿論なくさねばなりません。しかし、必要な遊びを奪われた教師や大人からの損得、忖度を土返しした真摯な教育から見放され、誰とはっきり指摘はできない多くの目に見えない被害者が今の子ども達である事に早く世間は気付かねばなりません。


己の保身と言う損得に目が眩み、不完全な評価制度や社会の歪な物指の監視にばかり忖度してはいまいか?


その意味、学校とは教師とは

無責任なマスコミや大衆に対しては独善的で良いのです。そう腹を括れば良いのです。だから学校って大切なんです。答えは子ども達が出してくれる。


損得、忖度のない真摯な思いに勝るものは無い。




こんだ直人教育研究所