昨日は長野市の赤沼地区にてボランティア活動。
リンゴ農家さんの泥にまみれた家屋や家財の拭き取り作業。お昼にはお母さんがリンゴと野沢菜でもてなしてくれた。たわいもない世間話に喜ぶお母さん。そんな中でお母さんから聞いた話。
テレビや防災無線でいくら危険だと言われても、まぁ大丈夫だろう、まさか千曲川の堤防は決壊しないだろうと何もしなかったお母さん。
その地区の方の判断で鳴らした半鐘に慌てて避難を開始したらしい。色々な意見もあるが指示をした方の英断。
マスコミでは赤沼を含む長沼地区での半鐘が多くの方々の避難を促したと報じている。
テレビやラジオでの情報はいくらアナウンサーが気持ちを込めてもリアリティには欠ける、防災無線は聞き取りにくかったと言う。半鐘には打ち手の危険をしらせる気持ちがその響きに乗り移っていたのだろう。
お年寄りにはきっと普段鳴らない半鐘が鳴ることの意味が染みついていたに違いない。
超少子高齢社会、過疎化が進む地方では半鐘や火の見櫓の老朽化による撤去が相次ぐ。
勿論、TVラジオのアウトプットや防災無線の指示で避難行動を促す事は大切なことだが、最終連絡手段としての半鐘の効果を見直すべきではないかと実感した。
何でも新しいものが万能で良いわけも無い。
その土地やタイミングにあったアウトプットの方法が求められる。学校や地域での今後の防災教育に活かしたい。
消えゆく傾向にある半鐘。
命を救った赤沼の半鐘が誇らしげに、
我々をみおろしている。
赤沼の火の見櫓と半鐘
こんだ直人教育研究所
ネットラジオDJ
教師は何をする人ぞ: 自立したい教師のための本 Amazon |
自慢の先生に、なってやろう! ~ラグビー先生の本音教育論~ 1,320円 Amazon |