日本は世界一安全な国となぜ呼ばれてきたか?
日本の治安の維持は警察などの検挙率の高さに見られる国家的な抑制力(国家権力)に全てが由来するものなのか?
東日本大震災を見ればわかる。消防、警察、自衛隊などの国家としての組織的抑止力もさる事ながら、国民の道徳観こそが社会の治安を維持してきた事が見て取れる。
しかしながら、日常の道徳観の共通認識から逸脱した凶行が増える傾向にあるのもまた事実。全体的にはバランスを保っている様に見えるが、国民の道徳観の共通認識の崩壊傾向は強まるばかり。いわば国民の道徳観、民度の低下傾向と判断しても良い。
平成の世を通して、心の教育と言われ続けはしたものの、その結果は果たしてどうだったか?その意味で戦後から平成の世と引き継がれた道徳教育について令和の現場教師はその総括から目を背けてはならない。
平成の道徳教育の見直しが今こそ求められる時ではないのか?
勿論対処療法も必要だが、対処療法(法的抑制)と根本的対応(国民の道徳観)は二本柱。
どちらか一方では歪な凶行から国民を守るにも限界がある。利他的な国民の文化的共有感が社会の安全性を保ってきた事は前述の通り。
世間や公の精神を念頭に入れた日本の伝統的な社会生活・生活習慣がどれほど個人のイモーラルな凶行に対する抑制的役割を課してきたのか、我々日本人はそのことを学び直せねばならぬのです。
昭和、平成の教育界を振り返る。
終戦を機に公の精神を軽んじ、集団生活の中で個々に対する必要な倫理的な制約が間違いであるかのような空気感がねつ造され、あるべき未来像の対立軸に置かれていってはいなかったか?
時代の流れ、改革路線、多様性といえば聞こえが良いが、より良い世の創造目的も無く、変えることそのものが目的化してしまった改革に、進歩的評価の物差しを当てがってしまった平成の教育界ではなかったか?
確固たる信念も無く、悪しき時代の潮流に流され、自らの無責任を時代の責任に押し付け、自分を改革者と位置づけてはいなかったか?
温故知新、不易と流行。
日本の伝統文化、生活習慣の価値の学びなおしが求められる。
先日に上げた祭りの伝統を守る事や、
『太鼓台新調に湧く地元!盛り上がれわが町!地域の絆は祭りから!』
無秩序に時代に流される昨今の風潮を思うと、良き伝統を守る事こそが改革そのもの。
1970年大阪万博の テーマは
「人類の進歩と調和」
まさしく公の精神と個の調和。
日本の伝統的・習慣的生活文化の学び直しの上に立った、新時代令和の日本人の道徳観の構築が求められる。
そんな令和の教育文化の創造を皆さんと共に成し遂げていきたい。
こんだ直人教育研究所
毎日新聞 近田直人
ネットラジオDJ
近田直人の「先生どないしたらええのん?」(毎月第3金曜日22時30より)

