暴力?パワハラ?体操速水コーチに関わる報道に警鐘。 | 世に棲む日々。(教育講演、研修、相談)

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おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなしものは心なりけり

体操の宮川選手に対する速水コーチの指導や体操協会の対応に

やれパワハラだ、暴力だと

マスコミ、世間はまたまた、騒ぎ出しました。

今回の一件に関して

事の真偽や、善悪についてここで語るつもりはありません。

ただ、言葉の精査はきっちりせねばなりません。

言葉の意味の共通認識無しに

真偽、善悪を語る事は出来ません。

先ずはパワハラについて。

パワハラとは本人がどう感じているかが基本。

第三者が勝手にあれはパワハラだと

本人の気持ちを抜きに認定出来るものではありません。

セクハラも同様です。

ある一定の言動を持って認定基準を作れるものでは無いのです。

世間でも

パワハラについては一定の理解は広がっているように思われます。

一番の疑問は、

速水コーチの一連の指導を

体罰でなく暴力として取り扱っている事。

暴力と体罰の違いを明確に意識して報道されている節がない事に違和感を覚えます。

そんな事はどちらでもいい?

確かにどちらも許される事ではありません。

しかし、

単純な暴力行為なのか?

体罰なのかを明確にする事無しに

宮川選手からの

「速水コーチの処分があまりにも重い」との訴えに対して

明確な答えは出すことはでき無いのです。

暴力も体罰もどちらも許される行為ではありません、

しかし

単純な暴力と体罰はその動機が違います。

体罰の認定を受けるには、

禁じられた教育手法とはいえ

そこに教育的手法である以上教育的愛情が前提として求められます。

それがあってこそ体罰。

無ければただの暴力。

何度もいいます、

だからと言ってら体罰を愛情があるから許せと言っているのではありません。

同じ暴力でも悪質な暴力と

思い余っての暴力とでは

法律を犯したと言う意味からは逃れられませんが

情状の酌量の余地に大きな違いがあり、

処分の内容に違いがあるのと同じ様に

法的な処分や世間からの倫理的な責めにおいて

体罰と単純な暴力では大きな違いがあって然るべきなのです。

言葉の精査は行為の精査を意味します。

その意味前述の様に、

宮川選手が訴える

処分の軽重を論ずるならば

言葉の精査無しに論ずることはできないのです。

現実に海外に目を向けると

この明確な言葉の精査の下

暴力との区別、

体罰の賛否を問う議論が

繰り返し行われています。

イギリスでは体罰は認められませんが

生徒や教師の安全や秩序の維持のため

生徒を抑えこむような行為は

有形力の行使として

最終的に最低限ではあれ

法的に認められています。

アメリカでは19の州で体罰は容認されているのです。

今回は体罰の体の字も出てきません。

各種競技団体では

あれだけ体罰指導は許さないと

キャンペーンを実施したにもかかわらず、

今回は単純な暴力との位置づけています。

現実的に法的に体罰を規定したものは

学校教育法第11条で校長や教員の体罰を認めない条項があるのみで

実は学校を離れたスポーツ現場では

体罰を禁止する法的な規定はないからなのでしょうか?

なんらかの意図があるのでしょうか?

私には速水コーチの宮川選手にたいする

体罰指導としか映らないのですが。

以上

私が感じた懸念と疑問を書きました。

繰り返します

言葉の精査は行為の精査

生徒指導の処分とて同じ事。

行為に相応する認定事項があり、

それにふさわしい処分が求めらる。

今回の一件

事の真偽、はまだ見えませんが

言葉の精査の無さに

懸念と疑問を感じました。

言葉の精査無しに

マスコミの騒ぎに乗る事に警鐘をならしたい。

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