Ruleに己が規制されるのではなく、
Lawに従い自ら規律を持ちコントロールする。
言わば他から規制を受けるのではなく、自ら自律を高める精神性がある。
人の心のありようが競技の質を決める。
ラグビーではこのlawの精神が尊ばれ、その精神文化は競技規則にラグビー憲章として一番最初に登場する。ラグビーに関わるものはすべからくこの精神文化の下、安全に安心して自らの勇気を持ってチームに貢献し、ラグビーを楽しむ事ができる。
アメリカンフットボールは戦略、戦術、コーチング、トレーニングがシステマチックかつロジカルに研ぎ澄まされている。その事はリスペクトに値する。
安全安心の確保についてもルールにおいて最重要なものとしてシステマチックにロジカルに盛り込まれている事であろう。
しかし、いかに効率的に論理的に研ぎ澄まされた競技であっても、規則で人を縛る事は不可能です。最後は人のありよう。
今回のように、規則を大切に自ら自律させる精神文化の無い土壌に規則などは無力に等しい事が証明されてしまいました。
勝ち負けの前にプレーヤーが備えるべき精神文化の大切さは理屈や組織を支える土台。
ルールをいくら厳しくしても精神的に自律し規則を自ら大切にする気概の無い者やそんな文化の無いチームがグランドに立てばそこは紛れもなく無法地帯。
スポーツだけに限った話では無い。組織やルール作りの前に人作り。
人肌で感じる空気感としての文化の共有や精神性が、組織やルールに血を通わせる事を忘れてはなりません。
選手や学生はコーチや監督の首を繋ぐ為に汗を流しているのではありません、大学の宣伝の道具でも無い。自らの自己研鑚とチャレンジする自分が楽しくてそんな仲間との文化の共有が楽しくて
汗を流しグランドに立っているのです。
世間にも言う。
スポーツは楽しむものと安易に言うなかれ。
どのレベルのどのカテゴリーも楽しむ前には
lawの精神の理解と実践力は身につけてもらわねばグランドに立つ資格は無い。
それが安心安全な文化の共有。
かの大西鐵之祐さんの「闘争の倫理」を読めば
スポーツの指導はスポーツの指導を超えた教育的視線(人としての生き方の視線)を大切にし、フェアーを純粋に愛し、アンフェアーを許さぬ揺るぎない信念がいかに大切であるかが伝わってくる。