怖い先生の締め出し。多様性の無さが学校の崩壊。 | 世に棲む日々。(教育講演、研修、相談)

世に棲む日々。(教育講演、研修、相談)

おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなしものは心なりけり

多様な個性、多様な生き方、多様な考え、それぞれが尊重され多様な社会は創造される。

 マスコミも社会学者も教育評論家も口を揃えて出るセリフ。
 
その割に皆さんの言うことは
こう働けとか
こう育てろとか
画一化を求める事ばかり。
 
過労死や青少年の自殺やイジメなど、さらに有名人のパワハラやセクハラなど、レアなトラブルや事件が起こるたびに、マスコミはアレルギー的に反応し、行政はピンポイントでそれぞれの事象に対応せず、画一化されたマニュアルや規則で多様な全体を縛り上げる。
 
そんな空気を容認する世間は多様性を求めながら全体を画一化するダブルスタンダードに気づかない。
 
例を挙げればきりが無い。
“叱る事は自尊感情を傷つける”と不十分な説明で
レアーな例を全体的傾向として一般化する。
 
叱る事ばかりでは自尊感情が傷つくのです、日常の秩序維持の為の怖い先生の叱りが即、全て自己肯定感を否定することなどはあり得ない事。
 
自分の論のプロパガンダの為にセンセーションナルなフレーズを繰り返しているにすぎないのです。
 
本来対立軸に無い叱る事と誉める事を対立軸におき、叱る事を自尊感情を破壊する行為と決めつける。
 
まるで叱る怖い先生と暴力教師を同一視するかのような風潮が出来上がる。叱る事の真の意味も知らない者が多様性の無い画一化されたマニュアルを突きつけてくる。
 
秩序の緩みは次のイジメや校内暴力を助長し、世の中のイモーラルな行為に繋がっていく。荒れた学校を経験した皆さんは知っている。怖い先生は学校を立て直せる事を。
 
学校を立て直せる怖い先生はただ怖いだけでなく、生徒を愛情いっぱいで包み込める先生でもある事を。ただ怖いだけの先生は追い出せば良い。生徒の為の怖さを持った先生との違いは明らかにある。
 
こんな多様な先生の在りようや、怖さの多様性も知らず、画一的に怖い先生を追い出す世間の空気。
 
世間の空気に負けた教育行政と管理職。何より愛情を持って叱り続けてきた先生方の腰が引けている。
 
怖さも多様。有用な怖さもあれば不要で有害な怖さもある。怖い先生の役割をあえて担っている先生もいる。怖い、優しいを一人でこなせる先生もいる。チームワークで怖い役、優しい役を演じている場合もある。
 
多様な生徒の、多様な事象の対応に、多様な教師のありようが求められる事は必然的。このご時世、大きい声で叱ったらダメと画一的に物を言う事の矛盾、いつになったら世間はわかってくれるのだろう。
 
無知な世間の理解がなくとも頑張って怖い先生で在り続ける、そんな自己犠牲に富んだ先生をしっかり応援することが真の教育界の役割ではあるまいか。
 
そう言えば自己肯定感などは耳にタコができるほど聞かされるフレーズだが自己犠牲などのフレーズは聞くことも無い。
 
自己犠牲などと人に強要するものでは無いが、苦もなく喜んで他人の為に行動できる人間が多い方が良いに決まっている。
 
そんな人間の存在も調和のとれた社会の大切な多様性。生徒も先生も自己中心的な自己肯定感がはびこっている。こんな学校現場であってはならない。
 
多様性ある学校が今の日本を救っていく。
授業だけが教師の仕事との大きな声も学校や教師の多様性を奪って行く。
 
薄っぺらな授業しか出来ない教師だけの学校、
部活やその他は外部に委託、こんな多様性の無い発想が、さらなる学校の崩壊の引き金となる。
 
こんだ直人教育研究所
近田直人