十二代目甲南大學應援團 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

既報の通り弊團十二代目の南信義先輩がご逝去されました。十二代目という代目は年代的に申せば昭和37年入学、昭和41年卒業、という事になります。
陣容は以下の通りであります。
團   長  飯村義則
副 團 長  升田将夫
副 團 長  大隅弘道
幹 事 長  南 信義
親衛隊隊長  直原美登志
リーダー部長 今中秀次郎
幹   部 高倉勇逸 田中正敏 中川清臣 廣津岱雲 山本雅弘(組織統制部長、総務部長、会計部長の人事について正確な記録がありません)
他にも前田という幹部が4回生の途中まで在籍しておりましたが、とある事件で團を去る事になりましたので、最後まで團生活を全うした者は11名という事になります。飯村團長率いる十二代目甲南大學應援團はおおよそ50名程度の團員を擁する、大学の規模の割には大所帯の應援團でありました。

時節柄、應援團に関わる事件も多く先の前田幹部の事件以外にも全国紙に掲載されてしまう様な事件があり、その余波で13代目、14代目の2年間は「應援局」と改称し実質的な活動休止期間となっておりました。
 

引退後の十二代目はOB会活動に熱心な代でありまして、飯村團長は居を東京に移し、当時の蔵重東京支部長の腹心として活躍されます。升田副團長は事務局付となり、後に幹事長として事務局を預かる様になり、南幹事長はその升田幹事長の良き補佐役として活躍されておられました。

ただ12代目は直原親衛隊隊長が早逝したのを皮切りに、升田副團長、飯村團長が相次いで若くしてお亡くなりになられるという悲運の代目でもありました。

 

平成8年、升田幹事長が逝去された際、南先輩が追悼文を当時の團誌に寄稿して下さいました。生前の両先輩の御関係を知る者にとっては胸に迫る名文であります。本来であれば今回の南先輩の訃報に際しこの追悼文に匹敵する様な文章を執筆したいところではありますが、人間味溢れる先輩で様々な場面が蘇り何から書けば良いのか途方に暮れております。

 

改めて先輩のご冥福をお祈り申し上げます。合掌

【南先輩による升田先輩の追悼文(平成8年)】

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