第38話 テンプラ狂想曲【前編】
テンプラとは今では殆ど使われなくなった俗語であります。ゴルフや野球の打球についてそう呼ばれる程度ではないかと思われます。
戦後間もない頃は結構、使われて居った様でありまして、偽物というニュアンスになろうかと思います。偽物と申しましても、天麩羅という食べ物は具を衣で包んでおりますので、粗悪品にメッキを施したり、或いは身分を偽ってさも本物であるかの様な身なりをしたり、というのがテンプラの成り立ちである様です。一説によると偽造ナンバープレートをテンプラと呼ぶ事もあるそうであります。
かつては今以上に学生という身分が何かと便利という事で学生服に身を包むテンプラ学生が多数、横行していたそうでありますが、本稿は戦後20年近くが経過し、世は東京オリンピックで賑わった頃のお話であります。
昭和30年代後半にもなりますと、大学應援團という存在は広く認知され、まだ男を磨くとか強くなりたいという価値観が多くの成人男性の間で支持されておりましたので、入團希望者は各校共、堅調でありました。そんな時、我が團にも是非、應援團に入團したいという新入生が現れました。今も昔も希望者は大歓迎、来る者は拒まずでありますので、即入團と相成った訳であります。仮にここではM君と呼ぶ事にしましょう。
入團してみますと、M君は希望者だけあって團務に極めて真面目でありまして、日々の練習にはきちんと参加しますし、團務も率先して引き受けたりしますし、時間が空きますと講義を受けに出かけたり、と非の打ちどころのない優等生でありました。
入團希望者の中にも理想と現実のギャップに苦しみ辞めて行く者も稀ではありませんが、M君は應援團イズマイライフを信条に学年を重ねていくのでありました。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会