ほぼ同時期にバレーボールの応援で、別の事件が発生しています。かつてバレーボールの試合では、コートを取り囲む様に補欠の選手達が並んで声援を送ったりボールを拾ったりしておりましたが、先にも触れた様に、試合に応援団が駆け付けるのは我が校くらいでありましたので、稀に暇を持て余した対戦校の補欠の選手が、我が方の応援の拍子や振りを茶化した感じで真似をする事がありました。そもそも既にその当時で応援団の応援が珍しかった事もあるのでしょう。
多くの場合、コーチ陣から悪ふざけするなと注意されたりして一過性のもので終わる事が多いのでありますが、白熱した試合で選手への指示でコーチ陣が忙しい時など、この悪ふざけが延々と続いたりエスカレートしたりする事があるのでございます。
話は横道にそれますが、これも応援団が少なくなった弊害の一つでありまして、応援団があれば双方、そんな不調法はしませんし、させません。
さて、折悪しくこの悪ふざけが延々と続く試合がある時、あった訳であります。時の幹部はハト派揃いで「試合終了後、相手校チームに注意しよう」という方向で、セットの合間の空き時間にその旨、幹部が額を突き合わせて相談していた訳であります。
するとコートから凄まじい喧騒が聞こえてくるではありませんか。後輩からゲシュタポと恐れられていた親衛隊隊員がいたのでありますが、何と彼がコートに舞い降りて、悪ふざけをしていた対戦校の補欠の選手に対して、言語の壁も容易に乗り越えてしまう最も分かりやすい方法で注意していたのであります。周りの選手もゲシュタポの強硬な捜査になす術もなく立ち尽くすだけでありました。
お察しの通りこれは結構な騒ぎになりまして、試合は中止。我が団もしばらくバレーボールの応援を自粛する事になりました。名付けて鷲は舞い降りた事件であります。
【鷲は舞い降りた】
色々とはありましたが、バレーボール部は我が校の体育館で試合があったという特性上、体育会の他部に応援に来てもらったり観客の動員がそれなりに可能だったため、歴代でも屈指の名応援があったり、様々なドラマが生まれた舞台でもありました。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会