笹井昭夫先生は昭和26年の甲南大学建学の折、講師として甲南大学に赴任され、その後、法学部教授になられました。そして昭和45年より平成元年までのちょうど20年間、應援團の顧問を務めて下さいました。歴代の顧問の中で最長記録であります。
笹井先生以前は、初代の木下丹先生(甲南大学学生部長・法学部教授)を除けば、顧問は短期で交代する事が多く、また我が團の所業が悪い事もあって1年毎に顧問が交代したり安定しない時期もございました。
そして昭和45年、我が團が解散同然の状態の中で顧問を引き受けて下さった笹井先生は應援團再建に尽力され、平成に改元すると共に名誉顧問に勇退された訳であります。当時、学長代行という要職に就かれておりましたので、應援團にまでなかなか時間を割いて頂く事が難しくなった事が主たる要因であります。
笹井先生が顧問就任後2年が経過した昭和47年、團誌「至道」創刊号が十八代目幹部によって発刊されたのでありますが、そこで笹井先生の御挨拶文が掲載されております。
笹井先生の應援團に関する考えが理解できる一文かと思われます。
当時の一般的な顧問とクラブの関係性を考えると、笹井先生は随分と踏み込んだ指導をなさっておられました。
一度、落ち込んだ團勢を回復出来たのは、当時の歴代幹部、團員の努力の賜物でありますが、その陰には笹井先生の惜しみないお力添えがあった事を我々は忘れてはならないのであります。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会