團旗異聞【中編】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

他校の團旗に関心を持ったところで、遠巻きに眺める位しか接する機会がないのが実情であります。あれほど長いポールの團旗、或いはいかにも重そうな鉄製の團旗を実際、持ってみたらどの位、重いんだろうという興味をいくら持ったところで、自校の團員でさえ團旗を触れるにあたっては様々な制約やルールがある訳ですので、部外者が触れる事はまず不可能であります。
 
ところがそこは義理と人情を重んじる関西応援団界でそれを実現した事例がございます。昭和44年の出来事であります。当時は四年制の大学には殆ど應援團が存在している時代でありまして、所帯の多いところでは團員百名を数える程で、中小である我が校でも50名程度の團員がいた時代であります。多くの強豪應援團がひしめき合い、まさに百花繚乱の様相を呈していた訳ですが、その強豪の一つに近畿大学がございました。その勇名は関西圏に留まらず関東を始め全国に轟いておりました。体育会は強豪チームぞろいでありまして應援團が活躍する場も沢山あったのも要因の一つでありましょう。
 
幸か不幸か当時、我が校には近畿大学と対戦を行う様な強豪チームが極めて少なく、応援会場で対決する事はほとんどございませんでした。昭和44年当時、近畿大学應援團には四天王と呼ばれる規格外の團員を擁しておりました。青田赤道ではありませんが、1名でも傑出した團員がおりますと團勢は俄かに上昇するものでありますが、それが4名もいた訳ですから同團の層の厚さを物語っております。【以下次稿】
【昭和42年 中團旗】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会