第57話 エナメル(前編)
先日の安岡親衛隊隊長のお話が意外と好評でございましたので、また別の親衛隊隊長に纏わるエピソードをご紹介しましょう。
今回、登場するのは安岡隊長の1年上の親衛隊隊長であります。志賀勝的な風貌でありまして、甲南生にはもちろんのこと、大学生にすら見えない風貌の持ち主であります。
「我が應援團道」という堅牢な哲学を持つ人物で、外見も髪型、髭、色の入った眼鏡、学ラン、上から下までこだわり抜いた一分の隙のない格好をしておりました。当時、甲南大学に通う学生であれば、知らぬ者はいないちょっとした名物男だった訳であります。
應援團に限らず、見た目がハードであっても見かけ倒しという事は世の中よくある話でありますが、志賀隊長に関しては、見た目以上に中身が濃く、我が團歴代でも三指に入る名親衛隊隊長であったのでありますが、この志賀隊長については「志賀勝男一代記」として連載を組める程の逸話の持ち主でありますので、後日、別稿に譲りたいと思います。
さて、この有名人である志賀親衛隊隊長が4回生の折、恒例の三武会合同の宴会が三宮で開催されました。三武会とは應援團、空手道部、少林寺拳法部による親睦団体でありまして、当時は我が團も30名を超す團員を擁し、空手道部、少林寺拳法部も同等かそれ以上の部員を擁しており、3部合わせれば100名という大軍団になる訳であります。
当時は体育会各部の正装は学生服でありましたので、100名が丸坊主や角刈り頭に黒い詰襟を着ている訳ですから、團バッジ、拳型バッジ(空手)、卍バッジ(少林寺)のいずれを付けているかでどの団体の人間かを見分ける必要があったのであります。宴が終わり100名が整列し、店の前で学園歌を斉唱するとちょっとした騒ぎになる事も珍しくありません。
志賀隊長は外見のハードさとは裏腹に宴会を盛り上げるのが大変、巧みで、今回の宴会も大いに盛り上がりまして、あたかも京で新選組が島原の角屋を総揚げにしたかの如き杯盤狼藉ぶりであります。やがて定刻となり、3団体入り乱れて飲めや歌えやの大騒ぎもお開きとなります。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会