第8回 求道者 森下暢夫(三十七代目甲南大學應援團副團長)【8】
森下副團長が幹部に就任し、最初に行った事は演武、乱舞の見直しであります。吹奏楽部も創設より1年が経過し、10名にも満たない所帯ではありましたが、徐々に力を付け始め、学園歌や応援歌の演奏を行うべく練習を進めておりました。
すると團員が皆、一様に首を傾げる事態が勃発したのであります。従来、リーダーの振りは先輩から後輩へ直接、伝えるしかありませんでした。ビデオテープに残す手法は森下副團長が入團する前後に取り入れられたものでした。
歌に至っては歌集片手に先輩の歌を聴いて覚えるという、謂わば口伝でありますので、中には音痴な者、音楽的センスが皆無な者も居る訳でありますので、長い歴史の中で歌い継がれる間にメロディが微妙に変わっていたのであります。
とは言え全く別の歌に聞こえる程には変わっていなかったものの、やはり原曲との間には結構な相違点が見られましたので、時の小宮山團長の指示で歌は全て楽譜通りに改められたのでございます。
上記の様な事がございましたので、森下副團長はリーダーの振りも時の流れと共に変わっているのではないか、と考え、原型を探し出し、それを後世に伝えねばならないと思い至ったのでございます。
曲に関してはいつの世にも同じ様に演奏できる様に楽譜という絶対的なものがございますが、振りに関してはビデオにでも残していない限り、再現は難しいので現実であります。この難問に対し、森下副團長はOBに連絡を取り、振りを覚えていないかを尋ねる地道な作業に取り組み始めたのでございます。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会