平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災より昨日で19年の歳月が流れました。それに伴い昨日は関連の報道が多かった様に感じます。
19年の歳月は長く、今では甲南大学はもとより神戸の街も何事もなかったかの様に日々が営まれておりますが、あの時に起きた出来事は風化させてはなりません。
以前も書かせて頂いた様に思いますが、甲南大学は旧制高校時代より校舎群は「白亜城」と呼ばれる白塗りの校舎が並んでおりましたが、今では煉瓦色の建物が殆どで、僅かに1号館、学友会館、学生会館に往時を偲ぶ事が出来る程度であります。これも震災で多くの校舎が被害を受け、建て替えられた結果なのでございます。
應援團が練習でよく利用しておりました旧2号館屋上、グラウンドも今ではもうありませんので、震災を境にOBとなった後、目を閉じて現役時代を振り返る時に瞼に浮かぶ光景は変化していると思われます。
当時、我が團は41代目の治世でありました。ちょうど前年に創團40周年記念を開催し團勢が発展途上にある時代でありましたが、地域ボランティア活動に挺身致しておりました。決して恵まれたと言えない環境の中、当時の團員達は実によく活動致しておりましたが、後から振り返ればもっと何か出来たのでないかと思ってしまうものでございます。
應援團はその組織の性格上、非常時、混乱期にこその真価を発揮出来ねばなりません。どのような困難に直面しても動じる事なく冷静且つ適切な判断を下し、自らの犠牲を顧みる事なく最善と思う事に一意専心、挺身する強い心を持つ事が肝要かと思います。
そういう團員を育成できる機能は新生應援團にも必要でありましょう。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会