リーダー部列伝【8】(5) | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

第8回 求道者 森下暢夫(三十七代目甲南大學應援團副團長)【5】

森下副團長の下級生時代は「志望通り関学に合格さえしていれば、こんな生活を送らずに済んだのに…」とぼやく平均的な新入生でありました

また兵庫県宍粟郡(現在の宍粟市)出身の彼は下宿をしていたのですが、春日野道という三宮まで1駅という夜遊び族の為に善意を以って作られたとした思えないマンションに住んでおりまして、マンションのドアから阪神電車春日野道の改札まで1分という利便性の高さを誇っておりました

それ故に彼の下宿は忽ち應援團寮と化し、三宮でヘベレケになった時の宿として、或いは自宅が遠い者には下宿として、またある時は團室で決着がつかなかった麻雀の延長戦の会場として、等々、幅広い用途で活用されておりました

本来の部屋の借主である彼はせっせと先輩の食事の支度をしたり洗濯をしたりしておりまして、朝には「おい、お前、今日は当番やろ。早く起きて行かんかい」と叩き起こされる始末。

書いていても同情を禁じ得ないのでありますが、彼の團員としての骨格を形成するのにあたって素地になった事は間違いありません。

そんな彼ではありますが、この代目ではモテ頭でありまして、1回生の時分から先輩の目を盗んで夜の街で活躍する女性と交際したり、はたまた先輩のお伴で行ったデパートの販売員、後輩が急性アルコール中毒で運び込まれた病院の看護婦、等々、日中の團室では考えられない活躍ぶりを発揮しておりました。また少人数ではありましたが、女子高生の彼の追っかけなどもおりまして、他の團員は度肝を抜かれたものであります。

山あり谷ありの彼の團員生活はまだまだ続きます。

甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会