戦後間もない混乱期、闇市が乱立する中、神戸では名所的な場所も生まれました。通称「ジャンジャン市場」と「国際マーケット」であります。
ジャンジャン市場は今で申し上げれば、JR三ノ宮駅南のそごうとフラワーロードを挟んで向かい合っているマルイの辺りにございました。昭和21年に51棟の建物が出現して、芋の代用食や芋ぜんざいを販売していたと記録されております。オールナイト営業の先駆け的存在でもありまして、神戸港が復興すると港湾労働者の溜まり場となり大変、賑わっておりました。
現在のそごうの東南一帯はイーストキャンプと呼ばれた進駐軍の基地でありまして、基地から流出した食料品が豊富だったそうであります。「じゃんじゃん儲かってしょうがない」というのが市場の語源と言われております。一般人にとって食べるという事が現代よりもはるかに大切だった時代に、何でも食べることができたジャンジャン市場は、エネルギーの源のような場所だった様です。しかしながら昭和41年、都市計画により、消滅しました。
【昭和40年 そうごうから北西を望む。画像左手がジャンジャン市場】

一方の国際マーケットは現在の住所で言えば中央区旭通4丁目、ちょうど新聞会館の真裏にございました。色々と権利関係が複雑だった様で、国際マーケットは随分と前に姿を消しましたが、現在、ようやく再開発が進んでいる様でございます。この一事からも在りし日の国際マーケットの闇の深さが窺えるのでございます。
ジャンジャン市場が主に飲食店街だったのに対して、国際マーケットは生活雑貨が中心だった様です。各店の入口は昼でも暗く、店内は天井が低く、妖しい雰囲気を醸し出しておりました。縄張り争いから拳銃の音が響き渡る事もしばしばあり、その複雑さ、闇の深さは神戸でも屈指の場所だったと言えましょう。
ジャンジャン市場にしましても国際マーケットにしましても、我が應援團が創設された時は健在でありました。これらの場所は怪しげな所という認識が一般的にあった様ですが、ジャンジャン市場では安価で空腹を満たせるという魅力がありました。それ故、学生が足を踏み入れる事もございました。そんな事が後日、我が應援團親衛隊結成の一因になった事は間違いございません。
Youtubeに戦後の神戸の映像がございましたので、当時の雰囲気を感じ取って頂ければと存じます。
八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会