新家リーダー部長を殊の外、敬愛していたのが後の三十二代目芹生リーダー部長であります。当時、4回生と1回生という間柄でありまして、通常であれば、それ程、接点がある関係とは言えません。
通常、日々の練習や行儀躾は3回生が主に指導を行うものでありますが、しかしながら29代目当時、我が團では3回生がおりませんでした。自然、3回生の役割を4回生と2回生が分担して行う運用にならざるを得ず、リーダーの指導は直接、新家リーダー部長より受ける事も多々あった訳であります。
その後、芹生リーダー部長は33代目~37代目の團員に対し指導を行う事になるのですが、この間に新家リーダー部長の教えが我が團リーダー部の血肉と化していた様な感がございます。
事実、この期間、團員数は危機的に少ない時代であり、リーダー部も各代1名ずつしかいない状態でありましたが、リーダー部のレベルは極めて高かったのであります。
29代目幹部は5名おりましたが、各人がそれぞれ強烈な個性を持ちつつも相互のバランスが良く、歴代の中でも特筆すべき代であった、とあるOBは仰っておられます。歴史にifは禁物でありますが、29代目が自身が入團した頃の様な大所帯を指揮していたとしたら、その後の我が團の歴史は大きく変わっていた事でありましょう。
さりながらその能力を團の建て直しに注ぎ、その結果の一つとしてリーダーの技術が研ぎ澄まされたのでありますから、大いに意義のある代であったと言えましょう。
【乱れ八拍子】

家元・新家リーダー部長の秀麗なリーダーは映像では残っておらず、写真でしか往時を偲べません。金の菱形のリーダー部長バッジと飾緒が施されたリーダー部長腕章が最も輝いていた時代かもしれません。
【新家祐司リーダー部長】