リーダー部列伝【4】前編 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

第4回 家元 新家祐司(二十九代目甲南大學應援團リーダー部長)【前編】

現在、我が應援團に伝わる演武や乱舞の型は長い歴史の中で、様々な変遷を経ましたが、最終形は新家リーダー部長に起源が求められると考えられております。

理由は幾つかございます。一つは以前にも触れましたが、1回生團員が全員、退團し1学年が抜けてしまった事が我が團の歴史にありますが、この抜けた学年こそが新家リーダー部長の1学年下の代だったのであります。

新家リーダー部長が入團した26代目当時、30名程度の團員がおりまして、前回、ご紹介した二十七代目山口尊司リーダー部長が3回生として指導にあたっておられ、我が團は充実した時期にありました。

そういった環境で團員修行に励んできたにも関わらず、新家リーダー部長が幹部になる頃には、一転して危機的状況に陥っていた訳であります。当然、自らが経験した組織運営をそのまま継続という訳にはいかず、現状に沿った組織運営が求められたのでございます。

結果的に人数的な劣勢は活動の縮小を招き、それまで以上に更に精神修養の色合が濃い組織になった様に思います。
リーダー部では演武乱舞をより勇壮且つ華麗に演じるかを追及する求道者の集団に変貌致しました。それまで外に向いて放射されていたエネルギーが、その方向を内に変えたと言えようかと思います。
結果、この期間に研ぎ澄まされた型が、規範として48代目まで伝えられる様になった訳であります。

もう一つは新家リーダー部長は愛弟子に、後の芹生長門リーダー部長(32代目)を持った事でありましょう。
これまで何度か触れましたが芹生リーダー部長は、リーダー技術の巧みさに加え、燃え上がる様な應援團への愛情、強烈な個性が相俟って、それ以降の團員にとっては特別な存在であり続けました。そして早逝された事によってその名は不動のものとなり、以後、リーダー部員は絶えず芹生リーダー部長に比肩すべく精進を重ねておりました。その芹生リーダー部長が師と仰いでいたのが新家リーダー部長だった訳であります。

【以下次稿】

【応援歌を演じる新家祐司リーダー部長】

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