第8回 求道者 森下暢夫(三十七代目甲南大學應援團副團長)【2】
森下副團長が入團した昭和最後の1年は、現在同様、学生の体育会離れの傾向が見えていた時代ではありましたが、今とは違って体育会や文化会には入らずともサークル活動には熱心な学生が多い時代でありました。甲南大学にも数多のテニスサークルやスキーサークルが存在しておりまして、華やかな雰囲気を醸し出しておりました。
狭いキャンパスの中、そんな華やかな集団を横目に應援團稼業に励む事を苦痛に感じる新人が多かった様であります。一時的に多数の新人で人口密度が俄かに高くなった團室もゴールデンウィークが終わる頃にはいつもの静けさが戻りつつありました。
後世から見れば驚かれますが、森下副團長もいつ「辞めたい」と言い出そうかという葛藤に苦しむ新人の一人でありました。しかし彼には「あいつよりは早く辞めたくない」とか妙なこだわりがあったりしまして、また一人また一人と辞めていく中でも、残り続けました。彼を含め残った3人は互いに同じ事を考えていたらしく、結局、そのまま團員稼業を続ける羽目になったのであります。
故に入團当初、彼には憧れる先輩がいたり、リーダー部に対するこだわりがあったり、という事がございませんでした。5月、6月と練習が本格的になっていく中、黙々と練習をこなす日々を送るだけでございます。
そんな彼でありますから、娑婆っ気は人一倍、強く「好きな格好をして、好きな髪形にしたらええんや」という先輩の言葉を真に受けて、当世流行りの頭にしてみたり、登下校用に自分では時代の先端を走っているつもりの服を買ってみたりと、團員らしくない團員でありました。無論、目を付けられ狙い撃ちに遭い、下手を打って丸坊主という運命が待っていた事は言うまでもありません。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会