代目の数え方 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

度々、触れておりますが、我が應援團は48代の歴史がございます。しかし48代=48年ではなく、実際には49年の歴史の中で48代を重ね48人の團長がバトンを繋いで来た次第であります。ただ代目の数え方が年代によって統一されておらず、その系譜は少々、複雑でございますので、ご説明申し上げたいと思います。

 

まずは系譜をご覧頂くのが手っ取り早いかと存じます、

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我が應援團では幸いにも活動停止等で團運営そのものが休止した年度は49年の中にはなく、連続して活動しておりますが、1学年が抜けてしまったケースが過去2度ございます。18代目と30代目でございますが、こういう場合は3回生が團長に就任し、4回生もそのまま続投するのであります。

ただこの時の対処法が18代目と30代目では異なっております。18代目は3、4回生と2年続けて軍配を振るった織田團長がその2年間を18代目と称しているのに対し、高橋團長は3回生の時を30代目、4回生の時を31代目と称しているのであります。

 

イレギュラーな代は他にもございまして、創團当初の2代目、3代目も本多團長が2期、團長を務めておられます。高橋團長と同じ方式でありますが、二代目團長当時、4回生團員はいらっしゃいましたが、桁外れの器量が評価され満場一致で3回生ながら本多先輩が團長に就任されました。また11代目に至っては1年間で3名もの團長が誕生致しております。いずれのケースも後にも先にもこの一例だけでございます。

 

年を主で考えるのか、人を主で考えるのかで数え方が異なる訳でありますが、こう見て参りますと年主体で考えていたケースが多い事が分かります。織田團長だけが例外と言えましょう。

本来であれば、どちらかの方式に統一し、代目もカウントし直すべきなのでありましょうが、既に自らが所属していた代目は忘れ得ぬものとなっている者が多く、今更、変更はききませんので、49代目以降はどちらの方式でカウントすべきか決めておくと致します。

 

八代目甲南大學應援團OB会

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