リーダー部列伝【2】後編 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

第2回 静かなる闘志 新谷幹雄(二十二代目甲南大學應援團リーダー部長)【後編】

二十二代目甲南大學應援團の新谷リーダー部長は誰が見ても應援團員とは思えぬ涼し気な男ぶりで女子学生にも大変、人気がありました。その反面、集合時間や礼儀作法には厳しく、また練習は先頭に立って率先垂範し、高いレベルを團員達に要求しました。しかし練習以外はとことん優しい先輩で「新谷先輩には可愛がって頂いているし…」との理由で退團を思い留まった團員も多いと伝えられております。

決して身内贔屓で書き連ねているのではなく、学業も極めて優秀で、女性にも人気があり、他部の者からも人望があり、と当時の甲南生の間では「何故この人は應援團なんかに入ったんだろう?」と常々、思われていたそうであります。周囲の友人は率直にその疑問を当人にぶつけた事もあるそうですが、ただ微笑むだけで明快な答えは得られなかったとの事でございます。
【二十二代目甲南大學應援團】
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新谷先輩はご卒業後も、就職先の酒造会社で御活躍なさっていましたが、平成4年、40歳を目前に急逝されてしまいます。先輩を知る人はその余りにも早過ぎる死に対し、ただ茫然とするしか出来なかったと伝えられています。

昭和50年、二十一代目の折に発刊された我が應援團の機関誌「至道」の中で当時の3回生團員の紹介文が掲載されております。当時の下級生が原稿を書いたのでありますが、その一文が端的に新谷先輩を表現していると思われますので、ご紹介します。

「豪傑揃いの先輩諸氏の中に只一人、水も滴る優男…と言えば氏しか居ない。もし全團員を私服に着替えさせて学園内で解散してみれば、おそらく最後まで團員である事がバレないであろうと思われるのが即ち氏である。しかしまた全員集合の合図がかかれば、最初に走って来るのも氏であろう。新谷先輩とはそんな人である」

新谷先輩の御冥福を衷心より祈念申し上げます。

【新谷幹雄リーダー部長】

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八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会