第2回 静かなる闘志 新谷幹雄(二十二代目甲南大學應援團リーダー部長)【前編】
昭和45年、甲南大學應援團は存亡の危機に直面しておりました。諸般の事情で50名を誇った団員は四散し、法学部 笹井昭夫教授が新たに應援團顧問に就任し、再建に乗り出されました。笹井ゼミ生が動員され、幹部4名、3回生0、2回生2名、1回生1名という陣容であります。当時はまだまだ應援團全盛の時代でありましたので、10名にも満たない我が團は業界でも極めて微弱な組織でございました。
その後、顧問、團員が一丸となって再建に取り組み、この時の1名の1回生が幹部になる頃には再建活動は軌道に乗りました。この方こそ我が應援團の中興の祖と言える牧村順二十九代目團長であります。牧村十九代目の再建に関するエピソードはまた稿を改めてご紹介したいと思います。
この牧村十九代目の折、春の新入生勧誘は成功を収め、最終的には9名の新入生が残ります。後の二十二代目幹部でありますが、9名がそれぞれが強烈な個性を持ち、且つその個性の組合せが絶妙でありまして、團長らしい團長、親衛隊隊長らしい親衛隊隊長、といった感じで名物幹部が続々と誕生し、組織として非常にバランスが取れた我が團史上でも特筆すべき代になるのであります。
そしてこの代でリーダー部長を務めておられたのが、新谷幹雄先輩であられる訳であります。