これまでの記事の中に再々、親衛隊と言う名称が登場しておりますが、「親衛隊とは何か?」「略称はSSですか?」「名曲『縦ひ全てが背くとも』が演目にありますか?」と言ったご質問が寄せられておりますので、少々、ご説明申し上げます。
親衛隊とは應援團を構成する部門の名前でありまして、我が甲南大學應援團は親衛隊とリーダー部による2部構成でございます。この親衛隊と云う刺激的な名前の部隊は、色々と調べますと関西地区の大学應援團が発祥の様でございまして、かつては関西の大学應援團の多くで採用されていた制度でございます。
昭和50年代に一世を風靡し映画化までされた劇画「嗚呼!花の応援団」の主人公・青田赤道の肩書は親衛隊隊長でありましたので、應援團には親衛隊と云う部門がある事はある程度、市民権を得ておったかと思われます。
【「嗚呼!花の応援団」青田赤道】
親衛隊制度の在り方は大学によって様々である様ですが、私共の制度や成り立ちについてご説明申し上げます。創團当時(昭和29年)、既に関西應援團業界では親衛隊制度が確立しておりました様で、私共の應援團もそれを倣って、制度の基盤が出来た様です。
当時の親衛隊は應援團以外の武道系クラブを中心とした、言わば腕貸し部隊でありましたが、徐々にこれを内部に取り組んで行くような組織体制に移行して参ります。他校に倣って親衛隊と名乗っていたものの、実態は応援活動等に伴って臨時編成の混成部隊でございましたので、これを應援團で隊長を立て、隊長を中心に團員+他クラブで編成される常設の部隊という形に改良し、正式に親衛隊を発足させたのは昭和38年の事でございます。
應援團では3回生以下の團員は親衛隊に所属する形になっておりまして、劇画の青田隊長は3回生ですが、我が團では隊長は最高学年の幹部が務める役職とされておりました。
その後、時が流れ、親衛隊が活躍する場面も減り、應援團の組織改革が進む中、親衛隊の下部組織であったリーダー部を直系に昇格させ、2部体制に移行した次第でございます。昭和50年の出来事でございます。その組織体制が平成15年の48代目まで継承され、今に至っております。親衛隊は旗手や鼓手を担当するセクションという位置づけに変化しております。
今後、現役團員が入團しましたら、組織の在り様については大いに議論の余地がございます。本場 関西でも親衛隊制度を継続している大学は随分と減った様に聞いております。しかし今後の事はともかくとしましても、大学應援團を語る時、その歴史の1ページを飾る存在である事だけは間違いありません。
八代目甲南大學應援團
広報委員会