應援團事件史~千人の殴り込み~ | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

大学應援團というものはかつて世間様をお騒がせした事がございました。これは紛れもない事実であります。私共自身も新聞沙汰という事がゼロだったとは申せません。この事実について我々も真摯に反省し、それから目を背ける事なく、その反省を新生應援團に活かして参りたいと思う所存であります。

 

とは申しましても頂戴したメッセージを拝見しますと、かつての全国津々浦々の大学應援團はそもそもどういう事件を起こしたのか、という事を知りたいという内容が多うございます。昭和40年代~50年代の各社新聞の縮刷版などを丹念に見て参りますと、それらを見つける事が出来ます。当時の時代の匂いを少しはご理解頂けるかと存じますので、その中からご紹介しましょう。

敢えて論評は差し控え記事のみを掲載させて頂きます。

【読売新聞 昭和45年1月31日】

この記事の騒動の元になった事件があるのですが、そちらの記事が見つかりませんでしたので、事実関係のみ記載させて頂きます。

 

事件の発端は昭和44年の年の瀬、某所で大阪商業大学應援團員が阪南大学詩吟部員に言い掛かりを付け、それを見た同大学の少林寺拳法部員が注意した事でありました。

年が明けると、刺身包丁等の凶器を持った大阪商業大学應援團員14名は、阪南大学の詩吟部に殴り込みを掛けたものの、部員が不在だった為、練習中だった少林寺拳法部員に刃物を突き付けるに至り、それを止めようとした同大学の学生を刺し、重傷を負わせて逃亡しました。 加害者はすぐに逮捕されたました。

 

【以下記事転載】

阪南大生ら千人
大阪商業大を包囲
なぐり込み抗議、他校生応援

さる24日、大阪商業大学の応援団に殴り込みをかけられ、学友会執行委員長ら9人の負傷者を出した阪南大学の少林寺拳法部員が30日午後、京阪神各大学の少林寺拳法部員約1000人と一緒に大阪商業大学に抗議に押しかけた。
学校の周囲を取り巻いて、両校代表の話し合いを見守るものものしさに、布施署の警官25人が衝突を警戒して待機。 トラブルは避けられたが、通りがかった買い物帰りの主婦は「この前の仕返しですか。 ヤクザみたいだ」と不安そうだった。
阪南大の少林寺拳法部が抗議に押しかけたのは午後0時30分頃。 事前に連絡を受けていたのか、関西学生少林寺拳法連盟(21校、1600人)加入の各大学から続々応援がつめかけ、正門前で道路を挟み、約300メートルの人垣を作り、周辺にも10人前後のパトロール隊を出すなど完全に包囲した格好。
阪南大少林寺拳法顧問 三輪禎夫教授が立ち会い美田雅章同部監督、部員、連盟の計八人が、図書館の集会室で大商大の菊井弘学生部長に①連盟に謝罪せよ②学生の処分をはっきりせよ、などを申し入れた。 菊井部長は「事件直後の二十六日に応援団を解散、なぐり込んだ十四人のうち四人を退学、十人を三か月以上の停学処分にした。 謝罪についてはあらためて回答したい」と答えた。

話し合い約一時間。 この間、学校を取り巻いた学生たちは人がきを乱すことなく直立不動。 ほとんどがラッパズボンの学生服姿で先輩がかけつけると、大声で「オッス」のあいさつ。 三十一日から入学試験がはじまるので、大商大の学生は登校していなかったが、試験場の下見にきた約十人の受験生は複雑な表情。 付き添いの母親が「何かあったのですか」と不安げに職員に話しかけていた。【以上】

 

八代目甲南大學應援團OB会

広報委員会