―言葉にとって意味がすべてではない、というより、意味などその一部にすぎない。音楽としての言葉、リズムとしての言葉、そこでやり取りされる、ぼくらには明確に意識も把握もしようがない、呪いのような層の存在を(ジョン・ポールは)語っているのだ。― 伊藤計劃 『虐殺器官』
*
INABA/SALAS のアルバム『CHUBBY GROOVE』はとてもポップでダンサブルだ。
ファンクロックを中心に広いジャンルを網羅するスティーヴィー・サラスのメロディは、B'zとも稲葉ソロとも違うヴォーカリスト稲葉浩志の第3の可能性をまったく想定外のレベルで提示してくれた。
アルバム全体を通してのバラエティや曲の流れについても思いは尽きないのだが、ここでは特にリード曲としてシングル的存在だった『AISHI-AISARE』に絞って考えてみたい。
僕と君 さだめの2人
喜怒哀楽とか天井シラズ
たまにキズ 言葉が暴走して
取り返しがつかなくなる
「愛し愛され」という語句は以前にも『MVP』で使われている。そこでは「(愛し愛される)絶頂感」と表現していたものを「天井シラズ」と言い換えている。いずれにせよ両想いなだけでテンションMAXになるのが初心(ウブ)さを感じさせる。
「たまにキズ」は一義には当然「玉に瑕」であるが、時々言葉が暴走するという意味では「偶に傷」と取るほうが自然だし、さらに意図的に「キッス」とも聞こえるように発音している。この揺さぶりがずるい。
他に好きなものなどない
君がいれば全てオーライ
どうかいつまでもここにいてほしい
自分勝手ならごめんなさい
無我夢中で取り戻したい
春の陽のように優しい感触
麻薬的な魅力を持つサビ。
言ってることはものすごくシンプルで、君が好き、これだけなんだけど、
詰め込み気味の詞を巧妙にリズムに乗せて消化することで、ことさら語尾を引き伸ばして強調している。
つまり、
ない→な あ あい
ライ→ラ ア アイ
さい→さ あ あい
たい→た あ あい
ここからすでに呪文は始まっている。
愛し愛され生きる 愛し愛され死ぬ
あたりまえだよね?
あたりまえだけど意識してないこと
あたりまえだけど考えないようにしてること
あたりまえだけど指摘されないと思いださないこと
ちなみにミュージックステーション出演時の字幕ではここがカタカナ表記になっていて、それが誰の意図によるものなのかは分かりませんが、私にはこちらのほうがふさわしいように思う。
アイシアイサレイキル… アイシアイサレシヌ…
欲しいもの 見つけたら
がむしゃらに突き進む
必死の思いで手に入れた宝が
いつしか重くのしかかる
ここでも1コーラス目と同じ、渇望しながらも自由としがらみの間でもがく青さがある。
欲しいけど手放したい。そんなの身勝手?
誰にもマネできない関係
誰にも壊させない関係
誰にもマネできない→非代替性
誰にも壊させない→不可侵性
そんな唯一無二の神聖なふたりなんだよと宣言する言葉が叫ぶでもなく呟くように歌われるのは、他でもない自分に言い聞かせているからでしょう。
そしてこの曲中で私が最も引っかかったのが次の2行である。
痛いほどわかってるんだよ
何が1番悲しいのか
「痛いほどわかってる」と言いながら「何が」なのか言及しない。
相手を傷つけること?嫌われること?ふられること?心変わり?どちらかが死ぬこと?
具体的に示さないことでどうとでもとれる、まるで薬事法を回避する健康サプリの広告のようなやりかたで「あなたの1番悲しいことは何なんですか」と突きつけてくる稲葉さんの優しいS。
私には未だに答えが出ていません。
大ラスのサビ。ここでスライドショーのように展開する情景は、本当に美しい。
春の陽のように優しい
夏の雨のように優しい
秋の予感のように優しい
ゆずれない感触
春夏秋と来て冬はないのという声があったけれど、ここまでで十分「一年中いつでも」ということは伝わるし尺の都合もあるし、さらに言えば、冬は「隠されている」のです。
はる→H a - ru
なつ→N a - tu
あき→ a - ki
ゆず→Yu - Zu ⇔ ふゆ→Fu - Yu
ねっ?
さて、これでエンディングまできました。
ここからはおまけです。
最も重要なフレーズが、Aメロでもサビでもなく、その後のブリッジ部分に顕われ、繰り返され、終わる。
ん?
心地よく韻を踏んだ、
意味のよくわからない言葉が、
あるストーリーの後に呈示される。
これは『般若心経』と同じ構造ではないか?
お釈迦様がシャーリプトラに説いたとされる大乗仏教の真髄とされる経典は、「空」に関する教えを韻を踏んだ美しい短い言葉でたたみかけるように説き、次のような真言(マントラ)で締められる。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
ものすごく乱暴に要約すると「この宇宙のすべての存在はあるともないともいえる」ということで、なかなか実感としては納得しずらいしできるとも思っていない。けれどその境地を目指して止観瞑想することの大切さと、それを助けるためのマントラを伝えるのが般若心経であり、他は前振りでマントラこそが肝であると言いきってしまう人もいる。原典が失われ、真の意味は誰にもわからない呪文。だが呪文であれば、逆に意味はわからなくてもいいのではないか。呪文はその言葉自体に魔法の力があるのではなく、それを唱える人の心に力があるという。
『CHUBBY GROOVE』が出てすぐ、「チャビグルの歌詞ってサラス氏の陽性で軽快なサウンドのお陰で楽しくクイクイ飲めちゃうけど実はいつも通りヘヴィだからね。“生きたまま腸に届く稲ソロ”って感じで後からじわじわ効いてくる気がする」と呟いた。
そんな風にして意味もわからず(わかっているけど深く考えず)いい気分で聴かせておいて、よくよく考えてみると恐ろしいことを歌っていることに気づく。子どもが喜んで歌いそうなメロディに乗せて、30年後に効いてくるような魔法を仕込んでいるのだ。
アルバム製作中、サラス氏が稲葉さんの書く詞の細部までコミットしたのは、日本語の意味に縛られることのない彼のほうがこの魔法の力をよくわかっていたからだろう。意味を凌駕する、音の威力に。私たちはみごとにその罠に捉えられたのだ。
I see , isolate , kill
I see , isolate , she knew
*

































