こなみのこみみ

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ひとは言葉で生きている。

Can't you hear.....
Noise of Angel,Wisper of Lucifer.

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三期にわたる『岸辺露伴は動かない』TVシリーズを経て、期待と信頼のもと満を持して登場した劇場映画版『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』

最速先行上映会と公開初日&二日目の3回観たところで感想を書き留めておこうと思います。

 

※以下映画の詳しい内容に触れます

 

 

 

 

【ストーリーについて】

 

 基本的に荒木先生の原作に沿った脚本で、青年期を回想として入れ子にした構成。

追加されたエピソードも、露伴がルーヴルに行こうとする動機に説得力を持たせるもので、とても自然、かつミステリー要素も膨らんでいる。

 

 

冒頭、露伴先生の夢とも記憶ともつかないまどろみの表情が美しい。この物語自体がすべて夢だったとしてもおかしくないような導入部。

 

骨董屋でのお約束のやりとりで、“岸辺露伴”という人物の性格と異能を説明しきってしまう親切設計。

続くオークションシーンと露伴邸で、今度は“バディ”泉京香のキャラと関係性が立ち上がる。

 

 

祖母の経営していた元温泉旅館。丸目サングラスが似合うおばあちゃんはきっちり着物を着こんで座敷に座り(原作ではコタツに入ってた!)、花街の置屋のやり手婆の風情。一目で只者ではないとわかる流石の白石加代子。

青年露伴と謎の女・奈々瀬とのやりとりは原作を写したような再現度で、特に長尾謙杜くんの若露伴の背中が芯はあれどもまだ不安定な青さを体現していて好演。

 

このパートが冗長と取る向きもあるようですが、ここをしっかり描けていないと作品全体を下支えできなかったと思うのです。

 

そして一気にパリ。旅客機が飛び立つイメージ映像が無くて良かったー(笑) 海外ロケ作にありがちな名所めぐり的シーンはミニマムに、いざルーヴルへ。館内でも次々に名作を映したりはぜず、モナ・リザに“背を向けて”スケッチを始める露伴を余白たっぷりに納める。いいねぇ。会話が響くほど人がいないルーヴルの贅沢さよ。

 

アクシデントを挟みつつ“黒い絵”があるというZ-13倉庫へ。“ありえないけどリアリティーを感じる”絵作りはロケハンのたまものでしょう。

 

どんな光も映さない黒い絵の対比として最高の“光の画家”フェルメールを配置するなんて。モリスは本物のフェルメールが持つ光の力を模写し終わったとたん、仁左右衛門の黒い絵に囚われてしまったんでしょうね。

 

狭くて暗い地下空間での謎解きとアクションは最初のクライマックス。自分や先祖が犯した罪、後悔にリアルな幻覚として襲われるのを四者四様に演じていて、暗いのに何が起こっているのかはっきりわかるので情報量が多い!

露伴が己の好奇心に抗いきれず震えながら黒い絵に振り向くカットは高橋一生の真骨頂。

ギリギリ勝てたのは、奈々瀬がヘブンズ・ドアーへ導いてくれたからでした。仁左右衛門への愛と露伴への愛で。

 

それにしても泉ちゃんの“陽”のパワーは凄い。天然の巫女かしらん。

 

 

物語的には起承転結が閉じたのですが、ここから“真の起と結”が始まろうとは!

初めて聞くささやき声での「ヘブンズ・ドアー」

比喩ではなく本当に息をのんで、そして涙の扉が開かれました。

 

………

 

さ、月代一生の祝言!!!!

 

政次で見られなかった姿をまさか露伴で!?

 

全国で何万人もが同じ思いをしているの確信しました。

 

でもね、えるしってるか。つかの間の幸せの後には悲劇が待っているだだよ……(鬼涙

妻のためなら恥も外聞もなく頭を下げられる。だから妻を害されたら我慢することはない。

御神木を切りに来たとき追手が誰もいなかったということは、捕縛に来た役人以下全員殺っちまったか怖くて逃げ出したかですよね。

 

ここまでやってこそ、250年以上見る者を呪い殺し続けてきた邪悪な絵の由来たりえるのでしょう。それにしても壮絶な映像だ……

 

ちなみに脚本の小林さんが江戸時代シーンを書くときジプシーキングスの『インスピレーション』を聴いていたそうで、ああなるほどあの不条理さは鬼平犯科帳のトーンかと納得しました。

 

 

墓参り露伴がパリと同じシャツでもタイが黒から白に代わっているのがとても良い。奈々瀬と仁左右衛門の魂が浄化された象徴に思える。

 

 

そして本当のエンディングへ。

黒のベストと左手首の黒革ブレスは初お目見え。政次を思い出させた銀色のぐるぐるはもうしないのかな?

エンドクレジットの先頭にピンで登場する『高 橋 一 生』の文字が誇らしい。

 

 

タイトルロール単独主演おめでとう!!!!

 

 

ずーっと映される露伴先生の背中から、あーこれが漫画家岸辺露伴の日常なんだな、ようやく戻ったんだなと実感しました。次の災難(密漁?懺悔?)までのつかの間でしょうが。

 

 

 

【ネーミングについて】

 

 映画では原作にはない設定や人物が登場しました。それらの名前がいろいろ気になったのですよ。

 ■野口エマ……原作では野口という姓だけ。エマEmmaという名前自体はよくあるものですが、なぜ彼女の名前がEmmaだったのか。それは彼女が抱える「自分の不注意で子供を死なせたという罪の意識」を考えたときに、生前の罪を裁く「閻魔」に通じるのではないかと思い当たりました。己の罪悪感で己自身が裁かれようとする姿。彼女が泉君の言葉で救われて本当に良かったと思います。

 

 ■辰巳隆之介……辰巳=巽、方位は東南、八卦で象るものは「毛髪」。

 

 ■モリス・ルグラン……フランスの映画音楽を代表する作曲家ミシェル・ルグランと、怪盗アルセーヌ・ルパンを生んだ小説家モリス・ルブランのハイブリットなのでは。 

 

 ■オークション会社 CRIMSON'S……ジョジョ第5部に登場するスタンド【キング・クリムゾン】が真っ先に思い浮かびますけど、加えてクリムゾンとはカイガラムシから採れる赤い染料の色。露伴先生が仕事場で泉君に見せてくれた、まさにあの色!

 

  

 

【音楽について】

 

 邪魔にならず、それでいて雰囲気を醸し、場面を切り替える菊地さんの音楽。

 

ルーヴルで使われた不協和音は静かさのなかに不気味さを。

一転して江戸時代では格調高く美しい弦楽で一編の悲恋物語を。

ラストに流れるメインテーマ「大空位時代」でボーカロイドが歌い上げるアリアの超絶ハイ&ロングトーンのカタルシス。

 

TVシリーズより厚みを増した音楽の数々が今回も素晴らしかったです。

 

 

【まとまらないまとめ】

 

 そんなわけで、軽々と予想を超えてきた映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』は最高でした。

高橋一生のこれまでの歩みがすべてここに向かっていたのではないかと思うほど完璧なハマり具合でした。

本当に本当にありがとうございました。

 

 

 

 

TBSの夏ドラマ『凪のお暇』全10回が終わった。

良質な作品によくある「この世界はどこかでまだ続いている」感が強く、気が付くとまだ彼らのことをぼんやり考えている。

親子、夫婦、恋人、友人、職場、ご近所…人は立場ごとに内づらと外づらを使い分けて生きている。厄介なことに、それは他人から指摘されないとわからないことが多い。自分を一番騙しているのは自分自身なのだ。

 

このドラマが始まったのとほぼ同時期に、私は東畑開人さんの『居るのはつらいよ』という本を読んでいた。この本は臨床心理学の研究者である著者が初めての勤務先である沖縄の精神科クリニックのデイケアでの体験を書いたもので、私のような専門外の者にも読みやすく且つ示唆に富んだ本だった。

そして偶然にもこの本に、まさに凪・慎二・ゴンの関係を表している(と私が感じた)ことが書かれていた。

それが【ケアとセラピーの違い】だ。素人には似たようなものに感じるが、そこには正反対と言ってもいい違いがあった。

 

【ケア】とは、傷つけないこと

患者のニーズを満たし、苦痛から遠ざけ、依存を引き受ける


【セラピー】とは、傷に向き合うこと

苦痛に触れ、根本原因を突き止め、依存を脱却して自立を促す

 

この二つは精神治療の両輪であり、人間関係の成分でもある。親にとって子育てはまさにケアとセラピーのバランスで成り立っているように、甘えさせるだけ、突き放すだけ、どちらに偏ってもよくない。

 

まさに、まさに。

凪にとって慎二とゴンは、両端に振り切ったセラピストとケアラだったのではないか。

 

ぼろぼろに擦り切れた凪の隣人がゴンだったのは救いだった。凪の存在を全肯定し、優しく受け入れ、心の安らぎを与えることで、安定した精神状態で生活を送れるようにする。

そこまでは良い。ふたりの関係が隣人愛を超えて(えいっとジャンプして)恋愛関係に進み、凪のニーズが「ずっと私のことだけ見ていてほしい」になると「私たち、付き合ってるんですよね?」という言質が取れない凪は、自分と一緒にいないときのゴンに傷つけられる。

 

対する慎二は、凪に罵倒の言葉しか投げない。外見を、行動を、性格を否定し、変われないと断言する。「そんなお前が俺は好きなんだ」という本心だけはかたくなに飲み込んで。ゴンへの過剰な依存に介入するのも嫉妬からだけではない。

そんな慎二に立ち向かううち、凪自身が慎二の言葉が確かに的を射ていること、そここそが自分の欠点だったことに気づき、成長しようとする。

 

ふたりほど極端ではない周りの人たち(アパートの住人、坂本さん、バブルのママ)からのマイルドなケアとセラピーを受け徐々に自立に向かう凪は、最後にきっぱりと依存から脱却し自分の脚で漕ぎ出していく。

お暇とはまさに言いえて妙な、治癒の時間だった。

 

良質なドラマと興味深い本が起こしてくれたセレンディピティで色々考えることができました。両方の製作者、著者、そしてTwitterでこの本を紹介してくれた方に感謝します。

 

 

 

 

 

最後にひと言。

 

高橋一生は最高だ!






居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく) https://www.amazon.co.jp/dp/4260038850/ref=cm_sw_r_other_apa_i_ycHHDbGBA640V

 

 

齊藤工監督初長編作品 『blank13』

3回観たので、覚書として感想の断片を書いておきます。

 

 

ギャンブルに溺れ、借金を残して蒸発し、13年間音信不通だった父が余命3か月で見つかった。母と兄は見舞いを拒否したが、コウジは子供の頃キャッチボールをしてくれた優しい父を思い、入院先を訪ねる。しかし金を工面している父の姿に失望し、家族の溝は埋まらないまま、父はこの世を去った。葬式に参列するのは、数少ない友人たち。彼らが語る父のエピソードによってコウジは家族の誰も知らなかった父の真実を知り、13年間の空白が少しずつ埋まっていく。公式サイトより)

 

 

 

*** ここからは映画の内容に触れます ***

 

 

 

この映画ではほぼ中間でタイトルが現れ、そこを境にテイストがガラリと切り替わるせいもあって、穏やかな話なのに全くだれることがない。監督の言うように二色パンを食べているようなのだ。


葬儀シーンにおける参列者たち(多くはお笑い芸人)のトリッキーなライブ感と、対する親族側(俳優)の神妙な精緻さが、そのまま現実の葬儀での身内と他人の対比になっている。

そして、身内の感情も一様ではなく、各人の感情にグラデーションがある。

 

故人に関わる4人の親族について、それぞれ考えてみる。

 

妻(洋子)は葬儀場に行かなかった。しかしキッチリと喪服を着て、しばし夫に思いをはせ、慣れない煙草をくゆらす。息子たちの親ではなくひとりの女の顔でかつて愛した男を送った。

死後にまで迷惑をかけないよう、離婚届を送ってきたのも男の愛の形なら、それを出さなかったのも女の愛の形なのだ。

 

長男(ヨシユキ)は喪主の挨拶を途中で放棄した。父を反面教師として“きちんとした大人”に成長した少年にとって、それは父を捨て返すささやかな反抗だった。

 

次男(コウジ)は揺らぎながらも“愛された息子”の立場をまっとうした。優しかった父の面影を最期に上書きすることができた彼は幸せだ。

 

次男の恋人(サオリ)は、ここでは最も縁の薄い存在であるはずが、故人の孫を宿していることで逆に最も濃い存在になった。生前のしがらみがない分、彼女のフラットさによって故人の罪が赦される。死者を未来につなぐ役割が葬儀の場に居る意味。それは“希望”だと思う。

 

父は家族を置いて逃げたのではなく、借金取りから家族を守ろうとしたのだろう。

でも、どこまでも不器用でお人好しで、何の弁解もなく逝ってしまった彼のことを理解するのに、断片的な他人の言葉と、引き出しの奥の作文や、派手な携帯ストラップや、仕掛けがわからなかった手品といった傍証が必要であった。

 

この葬儀は、父の有罪を、無罪とまではいわずとも情状酌量の余地ありとさせる裁判で、風変わりな参列者は12人の証人であり陪審員なのだ。

 

*

 

さて、高橋一生である。

主役であってもセリフは極端に少ない。あっても返事や相槌程度のものが多い。

その必要最低限のセリフを水底に沈めた置き石のようにして、刻々と変化する表情がすさまじい。

 

病室で再会した父を見る童心を残した目。

屋上で金策の電話をする父を見るゾッとするような蔑む目。

葬儀の終る頃そっと緩む口元。

 

どんな感情が彼のなかにあり、どう変化しているのかが手に取るように伝わってくる。

 

この役のオファーを受けたとき、似たような状況で近親者を亡くしていた彼は、それゆえ一旦は辞退したのだという。役と自分があまりにも近すぎて、距離を置けないかもしれないから、と。

結果としてそれは杞憂に終わった。

 

どんな創造行為であれ、経験したものからしか産まれてこない。ただそれを直接リンクさせるのではなく、一旦外部のリソース化し、再び取り込むことで普遍性・客観性が獲得される。

私のような、役者本人に関する余計な情報に常に曝されているファンの目にも、スクリーンに映っていたのは一生ではなくコウジだった。

 

役の実在感を捏造する俳優。

そんなことを思った。

 

*

 

広く海外の人にも観てもらいたい、永く見続けたい、マスターピースだと思う。

齊藤工監督、ありがとうございました。

 

*

 

逝く人と 生まれ来る人 交差する

あと三か月 もう三か月

#blank13

 

ツアー千秋楽、大阪公演に行ってきました。

当日はとても寒く、まだ体調が万全ではないこともあって省エネ行動しかできず残念でしたが、LIVEは堪能することができました。

 

イオンモールの柱。

いつもありがとうございます

 

終演間際、Pleasureツアーの告知映像が流れたときの盛り上がりは本当にすごかったです。

会場全体が悲鳴と歓声に包まれていましたね。

 

*

 

翌日は恒例の大阪パワスポ&おいしいものめぐり

 

一年ぶりにサムハラ神社さんと堀越神社さんにお参りしました。

素敵なことがたくさんあったので、お礼参りができて良かったなあ。

 

エクチュアでランチをして、一生さんのdocomo25周年CMロケ地へ。

 

恵美須町にある喫茶ブラザーさん。

 

地元で愛されている純喫茶そのものでした。

コーヒーおいしかったです。

 

一生さんのサインも。

 

あ、今回は今井さんできつねうどんではなく親子丼を食べました。

たまごがとろりとおいしかった!

 

 

 

齊藤工監督、高橋一生、リリー・フランキー、神野三鈴という松田家メインキャストが揃った舞台挨拶でした。(映画ナタリーさんのレポートはコチラ

節分ということもあり、豆まきならぬボール投げがあったり、サービスありがとうございます。

 

 

 

昨年の完成披露試写会につづき、待望の公開初日に観ることができました。

あの時と同じ中江監督以下主要キャスト登壇の舞台挨拶があり、華やかな開幕となりました。

(当日の映画ナタリーさんのレポートはコチラ

 

ノベライズ小説を読んだうえであらためて映画を見ると、初見の時とはまたちがう深みを感じました。

待ちに待ったワタクシ的ツアー初日。

よりによってこの大事な日に腰を痛めてしまって、やっとの思いで参加してきました。

同行してくれたEちゃんにはお世話をかけっぱなしで申し訳なかった・・・。

スタンドほぼ正面の席だったので座りっぱなしでも見られたのは助かりました。

 

オぺレーションに問題があったようで入場から席に着くまでラッシュアワー並みの混乱でしたが無事だったことが何より。

 

そして、アルバムツアーなのにこれを!?というような選曲の数々に感動した一夜でした。

 

同時多発する竜巻、熱帯を襲う寒波、巨大な雹…自然災害てんこ盛りのディザスタームービーですが、近々の未来に起こりそうな設定です。

家族愛や政治的駆け引き、宇宙での活動にもハラハラさせられました。

吹き替え版での鑑賞でしたが、ブルゾンちえみさんの吹き替えが思いのほかハマっていてカッコよかったです。

長澤まさみ主演の東宝映画『嘘を愛する女』の舞台挨拶付き完成披露試写会に行ってきました。

 

五年間同棲し、そろそろ結婚も意識していた恋人が突然倒れて昏睡状態に。

そして彼が名乗っていた名前や経歴の一切が虚偽だと知り、混乱しながらも彼の正体を探り始める主人公。

ラブストーリー、ミステリー、ロードムービー、いくつもの要素を含んだ2時間の映画です。

 

主人公の恋人・桔平役が高橋一生で、発表があってから小出しにされる情報を見つつ待っていて、公開も間近になり、幸運にも一足早く試写会で観ることができました。

 

このイベントが告知されたときは、会場も大きいしまあ知り合い何人かで行けるだろうと楽観していたのですが、ふたを開けてみるとかなりの狭き門だったようです。当選できたのは本当にラッキーでした。

 

*

 

当日は開場の1時間前に着いたのですが既に並んでいる人が大勢いて(座席は先着順ではありません)みなさんの意気込みがすごい。私は同行してくれたMちゃん(丸の内美人酒豪OL)と30分くらい前から列に並び開場を待ちました。

入場すると、事前に注意があったように全員に厳格な身分証確認があり、ドキドキしながらチェックを受けて座席番号が書かれたチケットを受け取りました。おそるおそる見てみると…一階の一桁列ではありませんか!(ここからしばらくふたりで興奮状態)

 

ホール扉をくぐるといきなり目の前の最後列に多数のTVカメラとスチールカメラ。さすがだ。

次に目に入ったのが、まるでLIVEのセンターステージのように一階席中央をつぶして設置された四角いステージ。通常の客席では立ち上がっても床くらいの高さがあるので、えっまさかここでやるの?と驚きつつ自分たちの座席についてみると、丁度そのセンターステージに上り下りする階段の真横。

前方ステージに目をやると正面に映画のタイトルロゴを立体的に象った巨大オブジェがあり、袖にはライトやテープを飛ばすキャノン砲らしき物があり。

そうしたあれやこれやを観察した結果Mちゃんが出した結論は

「後方から登場してセンターステージは撮影に使い、挨拶自体はステージに移動してやるに違いない。

そしてこの階段を使うはず」

という段取り表を読んだかのような推理で、結果として的中しました(笑)

 

LIVE以外でも金テって飛ばすんですね…(知らなかった)

 

まさみをエスコートする紳士・一生を至近距離で見られて、なんかもう、頭からはちみつかぶったプーさんのように多幸感に包まれました…

 

*

 

舞台挨拶の模様はいろんなところで紹介されていますので、自分的に印象に残ったことを少し書いておきます。

役者さんたちはみな堂々としてさすがだった。美しく、すきがなく、落ち着いて、それでいて親しみやすくそれぞれの個性で輝いていました。人前に自分をさらすプロというのは本当に凄いものです。

中江監督が「緊張しています。一刻も早く家に帰って風呂に入りたい」と泣き言を漏らしてまさみさんに「監督しっかりしてください!」と叱咤されていました(笑)

 

恋人同士を演じるにあたって(旧知の間柄だから)照れもあったけれど、本番になったらそんなこと言っていられない。(口の中にグッと指を入れるシーンも)しぐさに遠慮があったらふたりが深い仲であるように見えないから思い切りいきました。

そう云うときに一瞬見せた一生さんの真剣に引き締まった表情が良かったです。

 

席が近かったので、キャストのみなさんの発言はおとなしくじっくり聞いていたのですが、マスコミ撮影タイムになったところでバッグからさっと単眼鏡を取り出してガン見!…う、うるわしい…目がきれい…ワイシャツも靴もおしゃれだ……(すみません)

最後にはお手振りしながらの退場。ギリギリまで手を振ってくれた一生さんありがとうございます!

 

本当に本当に楽しい舞台挨拶で、終わったら体温が上がったように体が熱くなっていました。

(余談ですが、映画の上映中に空腹でお腹が鳴らないようにおやつにパンを食べ席に着いてからもウイダーインゼリーを食べたのにここまでの興奮で燃焼してしまって空腹になりました…)

 

**

 

映画の感想です。

 

仕事(とそれに伴う付き合い)が最優先のキャリアウーマンと、家事を引き受けて収入はバイト程度の男の共同生活。これはサラリーマン夫と専業主婦の図式をそのまま反転させたもので、ヒロインの言動は時には所謂モラハラ夫そのものだったりする。

その、逆の図式が、ストーリーをもう一段下の階層で支えていたことに気づくとき、もっとも悲しい真実が待ち受けている。

ふたりの思い出が良いものであればあるほど、そのかけがえのなさ、喪うことの恐怖は大きくなる。

そこから逃げた人と、それを赦そうとする人の試練の旅です。

 

美人で優秀だけれど自己中心的で直情型女のイヤな感じを長澤まさみが絶妙のコントロールで演じている。

主に回想シーンで登場する高橋一生は、異なる時系列のなかでパズルのピースのようにピタリピタリと嵌るビジュアルと表情で物語に説得力を与えている。あのラストの彼のためだけにでももう一度見たいと思うほどだ。

 

吉田鋼太郎・DAIGOの探偵社コンビもとてもよかった。細かいところにもう少しリアリティを追求していたら気になるところが減ったのにと思わないではないのですが、それはシンゴジラの見過ぎのせいですね。

 

 

結論として、

まさみは嫌な女だけど美しさで相殺されるし、一生はオールタイム素敵だし、ふたりの幸せシーンは至高なので絶対見てください!! リミスリより見やすいけど負けてません(何が)

 

現場からは以上です!!

企画してくださった東宝さんと関係者の皆様、付き合ってくれたMちゃん、

ありがとうございました。