バックヤードから離れた後方の原生林が薄ぼんやりと霧に沈んだ白い朝。
私が両親にかけるお電話は、大概の場合は父が取るのですが、混乱した父と、言葉と自分の声のトーンを考えて選びながらの会話は経験がなかった頃の想像などとても及ばない次元のもので、今朝は母は自宅にいないと言う父からなんとか母に代わってもらうまでの15分以上が長い長いものでした。父を落ち着かせ、疲れきって言葉少なになっている母とそれでも30分近くは繋がっていることができましたが、お電話を切った後は唇からこわばりがゆっくりと全身に広がっていくような感覚と身体の真ん中から小さな鉛のような重さを持ったものがどこまでも沈みながら私を内側の深いところへと引きずっていくような感覚とで身動きが取れなくなりそうでした。
遠くにいる、ましてや娘の私などと違い、長年連れ添った相手が少しずつ記憶や自分自身を失っていくのを目の当たりにしながら日々の介護に携わる母の気持ちや疲労と消耗、時に拭うことが難しくなるであろう絶望感のようなものを考えながら、それでも「またね。」の時には私を気遣ったりありがとうを伝える母の心を思い打ちのめされるような気持ちにもなります。
考えたり向き合ったりしても、今すぐに私ができることがないものに対しては悲しんだり苦しんだりしないと決めたはずですのにね。
そして。
それでもどうにも払拭しきれない哀しみの中に落ちていきそうだったところでの姪からのとても嬉しい幸せなニュース。喜びの涙がで視界がぼやけました。
人生の哀しみと喜びの交錯。
受け止めて受け入れて、Life goes on。
明るい方へとお顔を向けて進んでいきたいです。