安城七夕まつり | kon-collineのブログ

今日(8月4日)から三日間は私が住む安城市では七夕まつりです。4年ぶりの開催となるかな。

 

大人になってからはほとんど行っていない、最後に行ったのは10年ほど前か。
七夕まつりが始まると思い出すことがあります。
記憶をとどめているうちにここに回想を書きます。

 



1987年8月6日(木曜日・大安)
この日付は24歳の私が安城更生病院の胸部外科にて縦隔腫瘍の摘出をしてもらった日です。
当時の更生病院は安城市の中心街にありました。1987年の七夕まつりは私の手術の翌日からでした。

 


手術の執刀は胸部外科3部長先生のうちのお一人、木下肇彦医師であった。この先生ともうお二方の部長先生、看護婦の方々には今でも感謝しています。

小学校6年生の時以来、2年か3年に一度、腹部とも背中ともつかない自分でもわからない我慢のできない強烈な痛みがあり、その度に学校を3、4日休むということがありました。手術を受ける数カ月前にも再び痛みが来ました。

24歳になるまで原因不明の痛みであったわけであるが、当時CT断層撮影装置が導入されたころで、レントゲンや血中に造影剤を入れての撮影でも発見されなった腫瘍がCTによって見つかりました。

病院の内科を受診していた私に、医師は物凄く深刻な表情で腫瘍が見つかったことを私に告知し「だいじょうぶか、なんともないか」というような言葉を投げかけたが、私としてはあまりにショックで。
内科受診後にレントゲン室へ行く指示で、レントゲン室に来てから自分の靴に履き替えることを忘れ内科のスリッパのままで来てしまったことを憶えている。

その後、当時の更生病院にはMRI装置がなく、自分の腫瘍の写ったCT写真を持って津島市民病院まで行ってMRIの縦切りの断層写真を撮ってもらった。行く前に大封筒より自分のCT写真を出して見るのであるが、見るのがつらいこと、やりきれない感じだった。

手術の1週間ほど前から入院しいろいろ検査したのですが、肺機能の検査で技師より「何かスポーツやってた?」との問いに「吹奏楽部でした」と答えると「ああ、やっぱり」との返答。やはり管楽器は運動部並みに体を鍛えるものだと思ったものでした。

手術室に入る前に病室で軽い麻酔を打たれうとうとしているうちにベットのまま手術室に運ばれ、手術台で目が覚めた時にはこれから手術が始まるのかと勘違いし自分で起きようとしたが、既に手術が終わった後であった。手術は開胸で背中の中心から前の脇腹まで肋骨にそって40センチほど切り開かれ肋骨と肋骨の間を開いて背骨の前の腫瘍を取り除くというものであり23針で閉じられました。
CT写真を見て知ったが縦隔には直径数センチに達する大動脈や食道が通っていて腫瘍は直ぐ傍であった。

手術前に画像診断で卵より大きくゲンコツより小さいといわれていた腫瘍は病理に回され1週間後に出た結果は縦隔腫瘍のうちの良性の気管支嚢腫というものであった。
朝の回診の際に3部長のうちのお一人の放射線治療が専門の小林医師に「良性で良かったね、放射線を当てないといけないかなあと思ったけど」と言われ、おいおい、先生は悪性腫瘍も疑っていたのかと。
私自身は小学校6年生以来のたまに来る痛みであったので、多分良性だろう、悪性であったのならとっくにどうかなっていたであろうとは思っていたのであるが。

手術後1週間ほどは開胸痕とは別に肋骨の間からドレンを刺されていたのだが、これが辛かった。また手術痕が痛いと言ったらこの上ない。現在は手術後はモルヒネで適切に痛みの緩和をしてくれるらしいが当時の手術の術後はとにかく我慢するしかなく。夜中に看護婦さんに痛み止めの座薬を入れてもらったが、朝の回診で医師に、そんなもので痛みが取れるか、効かなかっただろうと、というぐらい痛いものでした。
自分で頭を上げることもできず、自分の手で髪の毛を引っ張って頭を持ち上げていた始末でした。

当時の看護婦さんに、2、3か月に一人くらいは同じ縦隔腫瘍の患者がいると聞きました。
私の場合は腫瘍が上の方であったので肋骨の間を横から切り開くという手術であったが、腫瘍の位置がもう少し下だと、正面のお腹からということになるとのことでした。当然今でも傷跡は時代劇の後ろから袈裟懸けに斬られたような感じで残っているが、自分では全然気にならないし、寧ろ腹のほうを切られなくてよかったと思っている。

近年、同じ合唱団員の看護師の方に聞いた話であるが、その方の担当患者に同じ縦隔腫瘍の患者がいて、その患者はそれを気に病んで自死してしまったとのこと。人によって受け止め方は違うであろうが、なにもそうまでしなくてもよいと思ったが、24歳の自分も告知を受けたときは目の前が真っ暗になった記憶が。

そんなこんなで現在まで他に大きな病気をすることもなく元気に生きております。
つくづく明治や大正生まれではなく、CTやMRIがあった時代で良かったと思います。

余談ではあるが、入院時にお世話になった胸部外科病棟のほぼ同世代?の超カワイイ看護師さんは現在も同じ病院で働いてみえ、毎年人間ドックでお目にかかります。今年のオペラにその看護師さんをご招待できたのはとても良い思い出に。

さてと、来年の人間ドックまでには24歳当時の体重まで落とすチャレンジをしよう!


最近太っていることは行動制限を受け自分の人生にとっては損なことではないかと思うようになった。


これからの人生を楽しむために標準体重を目指そう!